ブログ「ホーム&ヒューマン・ナビ」の Billy Joel の記事にて、Smoke Stings Studio 内の英語歌詞和訳がリンクされていますので、こちらで紹介しておきます。
昨日に続き、連続ですね…。
2008年02月16日
2008年02月15日
【英語歌詞和訳】バレンタイン記念イラストにて使用されています。
Smoke Stings Studio で掲載している英語歌詞和訳 "I'll See You In My Dreams" が、ブログ蒼い月で掲載されたバレンタイン記念イラストの中で使用されています。
バレンタインデー、過ぎちゃいましたけど、お知らせしときます。
バレンタインデー、過ぎちゃいましたけど、お知らせしときます。
2008年02月09日
2008年02月08日
太陽と埃
真新しい靴を履いて、昔聴いた曲をかけ、今日は朝の喧騒の中に久しぶりにいた。
朝飯を食べながら、とれかかったボタンを縫う。たった2時間のために。
まだ先は見えない。
ただ、今のままではいたくない気持ちが募る。太陽の光が射せば埃も目立つだろうが、今はそれも懐かしい。
決して戻るのではなく、進むために、まだまだやることが多い。
朝飯を食べながら、とれかかったボタンを縫う。たった2時間のために。
まだ先は見えない。
ただ、今のままではいたくない気持ちが募る。太陽の光が射せば埃も目立つだろうが、今はそれも懐かしい。
決して戻るのではなく、進むために、まだまだやることが多い。
2008年02月01日
次々と
この世の中に、「似ている人」がどれだけ存在しているのかはわからないが。
今日偶然隣に座った人は、信じられないくらい、自分の知っている人に似ていた。
他の人にはあまり話さない人の話をしたのは昨日。そして今日。
偶然にもほどがある。
これから自分は、新しいところへ、踏み出す。
とても大変だけど、活気のある2ヵ月にしたい。これからは。
今日偶然隣に座った人は、信じられないくらい、自分の知っている人に似ていた。
他の人にはあまり話さない人の話をしたのは昨日。そして今日。
偶然にもほどがある。
これから自分は、新しいところへ、踏み出す。
とても大変だけど、活気のある2ヵ月にしたい。これからは。
2008年01月31日
中国餃子
「顔の見えない」商売は、当てにならない。
いつでもどこでも、同じものが食べれるという感覚がおかしい。
その土地でつくられたものを、その土地に住む人たちの感性で調理する。これが、当たり前だと思うのだ。
飲食店やコンピニなどで、1回でもバイトをすれば分かることだ。自分たちが取り扱ってるものに対して、自分たちの商品を買ってくれる人達に対して、愛情を持って接しているのかどうかは。
昔は、交通機関が発達していなかった分、顧客のことを考えずに商売することは、即商売の不成功を意味した。近所の評判。それが、何よりも大切な要素だったからだ。
しかし、現代は違う。自分が普段口にしている食品がどこの場所で作られたかを意識しないで、人はモノを口にしている。
相手の顔が見えないのに、相手のことを愛せるわけがない。
自分の顔を見てもらっていないのに、相手が、自分のことを大切に思ってくれているわけがない。
現代の大量消費社会なんて、その程度のものなのだ。残念ながら。
いつでもどこでも、同じものが食べれるという感覚がおかしい。
その土地でつくられたものを、その土地に住む人たちの感性で調理する。これが、当たり前だと思うのだ。
飲食店やコンピニなどで、1回でもバイトをすれば分かることだ。自分たちが取り扱ってるものに対して、自分たちの商品を買ってくれる人達に対して、愛情を持って接しているのかどうかは。
昔は、交通機関が発達していなかった分、顧客のことを考えずに商売することは、即商売の不成功を意味した。近所の評判。それが、何よりも大切な要素だったからだ。
しかし、現代は違う。自分が普段口にしている食品がどこの場所で作られたかを意識しないで、人はモノを口にしている。
相手の顔が見えないのに、相手のことを愛せるわけがない。
自分の顔を見てもらっていないのに、相手が、自分のことを大切に思ってくれているわけがない。
現代の大量消費社会なんて、その程度のものなのだ。残念ながら。
2008年01月27日
2008年01月21日
砂嵐
私は、自宅にテレビを持っていない。この7年間というもの、ほぼ全くテレビを見ずに、普段の生活を送っている。
テレビというのは不思議なもので、あると、つけてしまう。特に、一人暮らしで語る相手もおらず、一人で多くの時間を過ごさなければいけないときなどは、「人の声」で部屋を満たすことのできるお手軽な手段となる。
テレビを自宅に置かなくなったきっかけは、引っ越しだった。引っ越しというものは大変な労力を伴うものだが、新しい生活スタイルを計画するには実に良い機会で、私は、ケーブルテレビを見ることによって得られる利益と、それによって取られてしまう時間的損失を計算した結果、時間的損失のほうが大きいと判断したわけである。
その当時はまだネット黎明期に近く、コンピューターも今ほど普及していなかった。私が当時持っていたのは Windows CE 機(!)であり、ネットを閲覧することは可能でもあまり快適に見れる状態ではなかったし、第一、見るべきウェブサイトを自分で探す労力をかける意志がなかった(あの頃はまだ Google のような優秀な検索エンジンが一般的になる前だった)。
コンピューターもほとんど触らない、テレビを持っていない、となると、他にやることは、本を読むくらいしかなかった。だから私は、あの当時、ひたすら本を読んだ。
当時はバイクに乗っていた。私は、自宅から勤務先に行く途中にある、あらゆる図書館から本を借りまくった。おそらく、1ヶ月に50冊は、本を読んでいたと思う。同時に、図書館で貸し出ししている CD も借りまくっては MD に録音し、 最終的には、MD だけで800枚ほどの音源を揃えることとなった。
その頃からずっと今まで、私は、テレビの映像とはほぼ無縁で生きている。誰かが作った映像を、自分の意志とは無関係に機械に受信させ、自分の中に取り込れることを、もうずっとやっていない。しかしそれは、私が外の世界の情報の受信を拒否しているということを、意味しない。私は外の世界に対するアンテナを出したまま、ただ、あらかじめ設定された映像が映ることを拒否して、今までやってきたのである。
テレビという、私に世間一般用に薄く広げられた情報を提供し、私の進むべき道に一定の方向性を与えてしまう存在とは、今の私は無縁だ。その代わり私はコンピューターを使用して、この広大なる外部記憶(インターネット)の世界を辿る。この外部記憶の世界はほとんどがゴミのようなものだが、ときどき、その中にゴミ以上の価値を持つものが転がっていることがある。
私は、そんな微細な情報の集合体の中で、時には目を凝らし、時には目を覆いながら、自分の足で進む。もちろん、情報の集合にも一定の方向性が見られることも多いが、少なくとも、自分の自由に探っていくことができる。
ただ、映像が写し出されるのを、待っているのではなく。
テレビというのは不思議なもので、あると、つけてしまう。特に、一人暮らしで語る相手もおらず、一人で多くの時間を過ごさなければいけないときなどは、「人の声」で部屋を満たすことのできるお手軽な手段となる。
テレビを自宅に置かなくなったきっかけは、引っ越しだった。引っ越しというものは大変な労力を伴うものだが、新しい生活スタイルを計画するには実に良い機会で、私は、ケーブルテレビを見ることによって得られる利益と、それによって取られてしまう時間的損失を計算した結果、時間的損失のほうが大きいと判断したわけである。
その当時はまだネット黎明期に近く、コンピューターも今ほど普及していなかった。私が当時持っていたのは Windows CE 機(!)であり、ネットを閲覧することは可能でもあまり快適に見れる状態ではなかったし、第一、見るべきウェブサイトを自分で探す労力をかける意志がなかった(あの頃はまだ Google のような優秀な検索エンジンが一般的になる前だった)。
コンピューターもほとんど触らない、テレビを持っていない、となると、他にやることは、本を読むくらいしかなかった。だから私は、あの当時、ひたすら本を読んだ。
当時はバイクに乗っていた。私は、自宅から勤務先に行く途中にある、あらゆる図書館から本を借りまくった。おそらく、1ヶ月に50冊は、本を読んでいたと思う。同時に、図書館で貸し出ししている CD も借りまくっては MD に録音し、 最終的には、MD だけで800枚ほどの音源を揃えることとなった。
その頃からずっと今まで、私は、テレビの映像とはほぼ無縁で生きている。誰かが作った映像を、自分の意志とは無関係に機械に受信させ、自分の中に取り込れることを、もうずっとやっていない。しかしそれは、私が外の世界の情報の受信を拒否しているということを、意味しない。私は外の世界に対するアンテナを出したまま、ただ、あらかじめ設定された映像が映ることを拒否して、今までやってきたのである。
テレビという、私に世間一般用に薄く広げられた情報を提供し、私の進むべき道に一定の方向性を与えてしまう存在とは、今の私は無縁だ。その代わり私はコンピューターを使用して、この広大なる外部記憶(インターネット)の世界を辿る。この外部記憶の世界はほとんどがゴミのようなものだが、ときどき、その中にゴミ以上の価値を持つものが転がっていることがある。
私は、そんな微細な情報の集合体の中で、時には目を凝らし、時には目を覆いながら、自分の足で進む。もちろん、情報の集合にも一定の方向性が見られることも多いが、少なくとも、自分の自由に探っていくことができる。
ただ、映像が写し出されるのを、待っているのではなく。
2008年01月15日
2008年01月10日
ANNA BANANA
たまたま手にした、ANNA BANANA の CD。
Clementine もそうだったが、舌足らずの発音がキュートなのである(Clementine の場合は英語だが、ANNA BANANA の場合は日本語)。
自分はリアルタイムの ANNA BANANA を知らないのだが、今、この人はなにをやっているのだろうか。
80年代の軽やかなイメージ。80年代自体は、今考えるとかなり気恥ずかしいものが蔓延した時代ではあるが、あの時代の持つ底抜けの明るさは、けっして否定されるべきものではないように思う。上手く使いこなしていけば、良いだけの話で。
と、いうよりも、既に本質的には同じものを抱えた時代が来ているじゃないか……。だから、その後に何がやってくるかも、十分予想は可能なわけで。
ちなみに、ANNA BANANA は、土屋アンナ とは、関係ないやつの話です…。
Clementine もそうだったが、舌足らずの発音がキュートなのである(Clementine の場合は英語だが、ANNA BANANA の場合は日本語)。
自分はリアルタイムの ANNA BANANA を知らないのだが、今、この人はなにをやっているのだろうか。
80年代の軽やかなイメージ。80年代自体は、今考えるとかなり気恥ずかしいものが蔓延した時代ではあるが、あの時代の持つ底抜けの明るさは、けっして否定されるべきものではないように思う。上手く使いこなしていけば、良いだけの話で。
と、いうよりも、既に本質的には同じものを抱えた時代が来ているじゃないか……。だから、その後に何がやってくるかも、十分予想は可能なわけで。
ちなみに、ANNA BANANA は、土屋アンナ とは、関係ないやつの話です…。



