バーに行こうと思ったら、雨が「行くな」と降ってきた。ICE の Big Beat From The City を聴きながら、最後に残った McClelland's を空けてしまうことにした。
ふと思い立って、Youtube で Blue Moon のプロモーションビデオを探してみた。まぶしく光の当たった石垣島の映像を見ながら、まるで取り残されてしまったかのような国岡真由美は今どうしているのだろう、と、考えてしまう。
ICE はとても好きなユニットだった。なんで、過去形で書かなければならないのだろう。アルバムの中に収録されている全ての曲を気に入っているミュージシャンは、ICE 以外には存在していない。ギターの宮内和之が亡くなったのは、2007年12月18日のことだった。
その時自分は、行きつけのバーで飲んでいた。翌日はマスターの誕生日でもあり、私は自分でデザインしたドリンクチケットを、ちょうど一日が切り替わる瞬間を待って、誕生日プレゼントとして渡した。煌めく光のデザインにマスターはとても喜び、私も大きな達成感に包まれた。
喜びの中、私はいつもと変わることなく飲み続けた。時間はどんどん過ぎていく。1人また1人と、家へ帰る。そして、ある人が帰り際に、私にそっと耳打ちしたのである。
「ICE のギタリストが、亡くなったそうですよ…」
それは、予想もできない衝撃だった。その2日前には、Dan Forgelberg も亡くなっていた。人は生まれる一方で、どこかへと知れずいなくなっていってしまうこともある。また会えることもあるのかもしれないし、もう二度と会うことがないのかもしれない。それでも今日の後に、同じような明日が続くことが当たり前だと思い込み、人は生きていく、というわけだ。
パートナーを失うとは、どんな気持ちなのだろう。自分には、想像することしかできない。この10年で、想像の力の大きさを十分にわかったつもりでも、それでも、パートナーがいない自分にとっては、そんなこと、本当にわかるはずもない。
Blue Moon の映像では、国岡真由美は宮内和之のことを見ていない。
宮内和之はサングラスをかけ、どこを見ているのかすら、わからない。
Wikipedia によれば、二人は宮内和之の晩年に結婚したそうである。宮内和之の5年間闘病生活。その時間の流れを考え、国岡真由美の心を推し量ってみても、思考はただ上っ面を滑っていく。
曲は次々と切り替わる。Blue Moon から Night Flight 、そして Sherry My Dear へと、次々と私はクリックを重ねる。ライブ映像を見て、私は強烈に自覚する。クリック。Baby Blue。宮内和之と国岡真由美のツインリードボーカル。
私は強烈に自覚する。少し前から、わかっていたこと。クリック。Love Makes Me Run。どこか似ているんだ。国岡真由美は。
クリック。Slow Love。McClelland's は既に空になり、私はずいぶん前に冷凍庫に入れておいたイェーガーマイスターを取り出し、ショットグラスに満たした。
こういう飲み方をする時、酒は感覚を麻痺させることはできても、心を満たすことはない。あまりほめられた飲み方ではない。イェーガーマイスターを選んだあたりに、健康へのくだらない気遣いがみてとれる、というわけだ。このような飲み方を重ねていくと、最後には、酒に飲まれてしまうのだから。
クリック。Kosmic Blue。クリック。Truth。
自分が望む、たった一言が聞けなかっただけで、心が離れていってしまうこともあるのだ。
クリック、So Into You。何回重ねたとしても、何も満ちることがないことは十分わかっているはずなのに。
2008年03月15日
2008年03月10日
ファーストバトル
自宅近くのソウルバーでダンスを踊るようになってから、身体表現に関しても、自分のテリトリーとして取り込もうと思っているわけです。
とりあえずダンスについて色々勉強しようと思ってダンス関係のDVDを多少揃えてみたのですが、手元に World B-Boy Championshiop 2004 という、どう考えても自分のダンスのスタイルとは全く違う、ブレイクダンス系のDVDがあるのです。
で、それを見て以来、ダンスの「バトル」に多少なりとも興味を持っていたのですが、今日、というか昨日、某所でのイベントで知り合いのDJが出演するので出かけたところ、偶然にも「バトル」に巻き込まれることになりました、というより、事実上、1対1のバトルでした。
自分は誰にダンスを習うというわけでもなく、せいぜいDVDを見る程度が練習と言うか研究の関の山なのですが、相手は明らかにしっかりと練習を積んでいるわけで。
とりあえず、どんなリズムでも踊れるのが自分のスタイルなので、臆面もなくバトルに応じてみました。
World B-Boy Championshiop 2004 を見たときは、岡目八目の格言の通り、大体の勝敗の予想はつくわけです。日本人チームはただあらかじめ設定したダンスをなぞっているだけで全くと言っていいほどグルーブ感をモノにしていないし、失敗を成功に魅せるテクニックも皆無で、世界チームの実力との差が歴然としているだとか、ブレイクダンス先進国と言われているらしい韓国は、わりと直線的な印象だがかなり魅せるブレイクダンスを踊るとか、フランスチームはチーム名からして明らかにオタ系(ある意味アート的)なのだけれど、トリッキーな動きで魅せるタイプ(の人が目立つ)だとか、やはりアメリカの力技(と優勝チームのチームワーク)は圧倒的な魅力があるだとか。
でも、自分自身はブレイクダンスでもなんでもないし(年齢的に無理)、実際に踊っている時には、バトルの勝敗等はわからんものなのです。
勝敗はわからないけど、ただ何となくわかるのは、「なぞるのと、なぞらないのと、どちらがよりオリジナルなのだろう」という点に対する答え。それは、その他の表現手段に関しても、たぶん、同じ回答が用意されているものと思われるわけで、というよりも、そう信じたいだけです。
とりあえずダンスについて色々勉強しようと思ってダンス関係のDVDを多少揃えてみたのですが、手元に World B-Boy Championshiop 2004 という、どう考えても自分のダンスのスタイルとは全く違う、ブレイクダンス系のDVDがあるのです。
で、それを見て以来、ダンスの「バトル」に多少なりとも興味を持っていたのですが、今日、というか昨日、某所でのイベントで知り合いのDJが出演するので出かけたところ、偶然にも「バトル」に巻き込まれることになりました、というより、事実上、1対1のバトルでした。
自分は誰にダンスを習うというわけでもなく、せいぜいDVDを見る程度が練習と言うか研究の関の山なのですが、相手は明らかにしっかりと練習を積んでいるわけで。
とりあえず、どんなリズムでも踊れるのが自分のスタイルなので、臆面もなくバトルに応じてみました。
World B-Boy Championshiop 2004 を見たときは、岡目八目の格言の通り、大体の勝敗の予想はつくわけです。日本人チームはただあらかじめ設定したダンスをなぞっているだけで全くと言っていいほどグルーブ感をモノにしていないし、失敗を成功に魅せるテクニックも皆無で、世界チームの実力との差が歴然としているだとか、ブレイクダンス先進国と言われているらしい韓国は、わりと直線的な印象だがかなり魅せるブレイクダンスを踊るとか、フランスチームはチーム名からして明らかにオタ系(ある意味アート的)なのだけれど、トリッキーな動きで魅せるタイプ(の人が目立つ)だとか、やはりアメリカの力技(と優勝チームのチームワーク)は圧倒的な魅力があるだとか。
でも、自分自身はブレイクダンスでもなんでもないし(年齢的に無理)、実際に踊っている時には、バトルの勝敗等はわからんものなのです。
勝敗はわからないけど、ただ何となくわかるのは、「なぞるのと、なぞらないのと、どちらがよりオリジナルなのだろう」という点に対する答え。それは、その他の表現手段に関しても、たぶん、同じ回答が用意されているものと思われるわけで、というよりも、そう信じたいだけです。
2008年03月06日
春を待つとまどい 3
(前回の続き)
私は片眉を上げる。言葉はすぐには、出てこない。
私の目の前においてあるのは、ラフロイグをウィルキンソンの辛口ジンジャーエールでほんの少しだけ割ったものである。今は真剣に向き合うより、気軽に時間を過ごしたかった。だから、普段はほとんどしない飲み方を選んだ。
琥珀色の液体の中で、大きな氷がひとつ、琥珀色を艶めいて溶かしながら浮いている。彼の手の中のブラックブッシュで煌めいているような氷の色彩は、今、自分の目の前にはない。自分の目の前にあるのは、むしろ、琥珀色の年月を溶かし切ってしまったような、円熟した深さの固まりだ。
よく、遊んだものだ。こいつとは。
まるで子供のように、色々なところへ行って、色々なことを経験して、つまらない理由で喧嘩したり、くだらない冗談で溝を埋めてみたりした。
昔から、未来を計算する、などろいう器用なことができるタチではなかった。そのくせ、安定した未来を得やすい会社に就職し、自分と周囲との考え方のギャップを消化しきれずに、いつだって悩んでいる。どうしても未来を見てしまう自分が、未来を見るにはあまりにも不安定な職業を選び、しかし悩みも苦しみも殆どなく仕事をしているのだから、皮肉なものである。
だからこそ彼は、煌めきを掌の中に掴んでいる。私は円熟した深さを目の前に、それを掴みかねている。1年前、結婚によって彼は、自分自身の未来とパートナーとの未来を重ね合わせた。そして1年後、彼は自分自身が他人の未来を創り出していたことを強烈に自覚した。煌めきはもう、子供に与えてやらなければいけないものなのである。
喜びを噛み締めるとともに、彼が覚悟を抱きとめるために、今日酒を飲みにきていたことを、私は知った。たぶんこれは、男の本能に近い、非常に動物的な感覚なのである。子供ができた喜び以上に、自分が守るべき者達を守っていかなければいけないということを、強く自覚し、受け入れるということは。
例えば自分なら、さっき買ったばかりの安いミュールをレストランで取り出して、瞳をきらきらさせながら嬉しそうに眺めている、そんな女の瞳の煌めきが愛おしいと思えば、その輝きを守るためには、何でもする気になるだろう。だがそれは、彼が新しい生命の創造に関わったということに比べれば、あまりにも軽く、お手軽なものなのである。
世の中はいつだって不安定で、安心して生きていくことなんて、できるものではない。でも、未来を見ることが苦手な彼は、もう、未来を直視することができるだろう。そして一歩を踏み出すために、自らの子供に楽しげな煌めきを与えることを決意するために、彼にはこの空間が必要だったのである。
「昔に戻れば良いと、思うこともあるのだろうが……」
私は目の隅で、彼がグラスの傾けるのを捉えていた。氷がグラスと触れ合って、美しい音を立て、BGM にひとつの音階を滑り込ませた。
ジャズはまだ流れていた。彼のリクエストした曲が。一見不器用だが、盛りだくさんで、どんどんがんばって前に進んでいくような、そんな楽しげなジャズ・メッセンジャーズの組曲が。
無骨なグラスからは琥珀色が消え、一点の曇りもない、透明な煌めきを放つ氷だけが後に残った。煌めきは、もはや彼自身が飲み干すことはできないものだったのである。
(終)
私は片眉を上げる。言葉はすぐには、出てこない。
私の目の前においてあるのは、ラフロイグをウィルキンソンの辛口ジンジャーエールでほんの少しだけ割ったものである。今は真剣に向き合うより、気軽に時間を過ごしたかった。だから、普段はほとんどしない飲み方を選んだ。
琥珀色の液体の中で、大きな氷がひとつ、琥珀色を艶めいて溶かしながら浮いている。彼の手の中のブラックブッシュで煌めいているような氷の色彩は、今、自分の目の前にはない。自分の目の前にあるのは、むしろ、琥珀色の年月を溶かし切ってしまったような、円熟した深さの固まりだ。
よく、遊んだものだ。こいつとは。
まるで子供のように、色々なところへ行って、色々なことを経験して、つまらない理由で喧嘩したり、くだらない冗談で溝を埋めてみたりした。
昔から、未来を計算する、などろいう器用なことができるタチではなかった。そのくせ、安定した未来を得やすい会社に就職し、自分と周囲との考え方のギャップを消化しきれずに、いつだって悩んでいる。どうしても未来を見てしまう自分が、未来を見るにはあまりにも不安定な職業を選び、しかし悩みも苦しみも殆どなく仕事をしているのだから、皮肉なものである。
だからこそ彼は、煌めきを掌の中に掴んでいる。私は円熟した深さを目の前に、それを掴みかねている。1年前、結婚によって彼は、自分自身の未来とパートナーとの未来を重ね合わせた。そして1年後、彼は自分自身が他人の未来を創り出していたことを強烈に自覚した。煌めきはもう、子供に与えてやらなければいけないものなのである。
喜びを噛み締めるとともに、彼が覚悟を抱きとめるために、今日酒を飲みにきていたことを、私は知った。たぶんこれは、男の本能に近い、非常に動物的な感覚なのである。子供ができた喜び以上に、自分が守るべき者達を守っていかなければいけないということを、強く自覚し、受け入れるということは。
例えば自分なら、さっき買ったばかりの安いミュールをレストランで取り出して、瞳をきらきらさせながら嬉しそうに眺めている、そんな女の瞳の煌めきが愛おしいと思えば、その輝きを守るためには、何でもする気になるだろう。だがそれは、彼が新しい生命の創造に関わったということに比べれば、あまりにも軽く、お手軽なものなのである。
世の中はいつだって不安定で、安心して生きていくことなんて、できるものではない。でも、未来を見ることが苦手な彼は、もう、未来を直視することができるだろう。そして一歩を踏み出すために、自らの子供に楽しげな煌めきを与えることを決意するために、彼にはこの空間が必要だったのである。
「昔に戻れば良いと、思うこともあるのだろうが……」
私は目の隅で、彼がグラスの傾けるのを捉えていた。氷がグラスと触れ合って、美しい音を立て、BGM にひとつの音階を滑り込ませた。
ジャズはまだ流れていた。彼のリクエストした曲が。一見不器用だが、盛りだくさんで、どんどんがんばって前に進んでいくような、そんな楽しげなジャズ・メッセンジャーズの組曲が。
無骨なグラスからは琥珀色が消え、一点の曇りもない、透明な煌めきを放つ氷だけが後に残った。煌めきは、もはや彼自身が飲み干すことはできないものだったのである。
(終)
2008年03月05日
春を待つとまどい 2
(前回の続き)
そこは洋酒専門店を銘打った、洋酒バーである。照明を落とした店内はバックバーに琥珀色が溢れ、ジャズのレコードやCDが奏でる音が店内を満たし、ほぼカウンターのみの狭い店内は、不思議な春の温かさにしっとりと包み込まれている。
無骨だが豊かな木の曲線と緩やかな木目がそのまま活かされたカウンターに私と友人は席を取っていた。時折マスターが酒を作っている姿を、そのまま鑑賞できる位置である。
バーにも色々なスタイルがあるが、職人性と芸術性の融合、伝統的感覚と若々しい感覚の融合が高度になされているという点において、このバーは他のバーに比べ、群を抜いた魅力を備えている。そして何よりも素晴らしいのが、マスターの人柄である。高度な技術とこだわりを備えていながら、一切それを誇ることなく、いつもやわらかな笑顔と温かさで接客を行っているのだ。
このバーは自分で開拓したのではなく、他の店のバーテンダーから紹介を受けたものである。本当は誰にも教えたくないのですが、と前置きをしつつ、惜しげもなく教えてくれた彼は、やはり私と同年代であり、将来は吉祥寺に店を持つことを夢見ている。とある鞄屋の店鋪の店構えをやけに気に入り、店を持つならあそこかな、それじゃ俺は鞄屋が繁盛して別の大きい店鋪に移ることを祈っとこうか、などと冗談を言い合ったりもする。
本当は教えたくない、の持つ大きな価値を、私はわかっているつもりだった。そして紹介を受け、実際に店鋪に足を運んでみて、私も思ったのだ。
ここは本当に大切な人にしか、教えたくない店だ、と。
その日連れてきたのは、高校時代からの友人だった。無骨で不器用で、それでも、とても真っすぐな人間である。賢く振る舞うことはできないが、結果的には自分自身にとって正しい道を選択して歩くことができ、私とはある意味正反対の個性を持っていながらも、腹を割って話をすることのできる、大切な友人なのである。
彼は、アイリッシュ・ウィスキーを好んで飲む。私はモルトをストレートで飲むことが多いが、ストレートは、彼のスタイルではない。ストレートは、あまりにも真剣で真面目すぎる。彼はウィスキーをそのように鑑賞するには、あまりにもロマンチストなのである。ロックで注文をし、ずんぐりとしたグラスの中を彩る氷の煌めきを掌に抱えながら時間を過ごすのが、彼に一番相応しいやり方なのだ。
「なんだか懐かしいんだよな……」
呟き。
私はそれに、頷きを返す。時を経た、丸みを持った温かさ。この空間はあまりにも快適で、時間を確認する、などという考え方すらなくなってしまう。腕時計は、この場所ではただの邪魔者なのだ。
「実は、今日会いたいと思っていたのはさ……」
彼の心の壁は、この空間と、好きな酒によって、だいぶ溶けてきたようである。
「子供、が、できた、らしいんだよ。俺に。」
(次回に続く)
そこは洋酒専門店を銘打った、洋酒バーである。照明を落とした店内はバックバーに琥珀色が溢れ、ジャズのレコードやCDが奏でる音が店内を満たし、ほぼカウンターのみの狭い店内は、不思議な春の温かさにしっとりと包み込まれている。
無骨だが豊かな木の曲線と緩やかな木目がそのまま活かされたカウンターに私と友人は席を取っていた。時折マスターが酒を作っている姿を、そのまま鑑賞できる位置である。
バーにも色々なスタイルがあるが、職人性と芸術性の融合、伝統的感覚と若々しい感覚の融合が高度になされているという点において、このバーは他のバーに比べ、群を抜いた魅力を備えている。そして何よりも素晴らしいのが、マスターの人柄である。高度な技術とこだわりを備えていながら、一切それを誇ることなく、いつもやわらかな笑顔と温かさで接客を行っているのだ。
このバーは自分で開拓したのではなく、他の店のバーテンダーから紹介を受けたものである。本当は誰にも教えたくないのですが、と前置きをしつつ、惜しげもなく教えてくれた彼は、やはり私と同年代であり、将来は吉祥寺に店を持つことを夢見ている。とある鞄屋の店鋪の店構えをやけに気に入り、店を持つならあそこかな、それじゃ俺は鞄屋が繁盛して別の大きい店鋪に移ることを祈っとこうか、などと冗談を言い合ったりもする。
本当は教えたくない、の持つ大きな価値を、私はわかっているつもりだった。そして紹介を受け、実際に店鋪に足を運んでみて、私も思ったのだ。
ここは本当に大切な人にしか、教えたくない店だ、と。
その日連れてきたのは、高校時代からの友人だった。無骨で不器用で、それでも、とても真っすぐな人間である。賢く振る舞うことはできないが、結果的には自分自身にとって正しい道を選択して歩くことができ、私とはある意味正反対の個性を持っていながらも、腹を割って話をすることのできる、大切な友人なのである。
彼は、アイリッシュ・ウィスキーを好んで飲む。私はモルトをストレートで飲むことが多いが、ストレートは、彼のスタイルではない。ストレートは、あまりにも真剣で真面目すぎる。彼はウィスキーをそのように鑑賞するには、あまりにもロマンチストなのである。ロックで注文をし、ずんぐりとしたグラスの中を彩る氷の煌めきを掌に抱えながら時間を過ごすのが、彼に一番相応しいやり方なのだ。
「なんだか懐かしいんだよな……」
呟き。
私はそれに、頷きを返す。時を経た、丸みを持った温かさ。この空間はあまりにも快適で、時間を確認する、などという考え方すらなくなってしまう。腕時計は、この場所ではただの邪魔者なのだ。
「実は、今日会いたいと思っていたのはさ……」
彼の心の壁は、この空間と、好きな酒によって、だいぶ溶けてきたようである。
「子供、が、できた、らしいんだよ。俺に。」
(次回に続く)
2008年03月04日
春を待つとまどい 1
「お前なら、きっと気に入ると思っていた」
アイリッシュ・ウィスキーの温かさに身体を包まれながら、くつろぎ微笑んでいる友人を隣に、私はバーテンダーの位置を気にしながら、囁いた。
「今俺がお前に送ることのできる、これがたぶん最高のものだ」
友人は頷く。言うまでもないことをあらためて口に出してしまった気恥ずかしさを感じながら、私はラフロイグを口にした。非常に珍しいことである。Ardbeg の置いてある店で、ラフロイグを頼むことは。
初めての結婚記念日を祝ったメールをきっかけに、その日私は、友人を誘い出していた。
友人は私がこれまでに数えきれないほどのバーを巡っていることを知っている。だから、彼と会うときは、たいてい私が店の候補を提案することになる。
その日もいくつか候補を挙げた上で彼に選んでもらった。携帯メールの送信履歴には、以下のような文章が残った。
A) 件の行きつけの店へ連れて行く。こないだの店の上だ。
B) お前なら絶対気に入るはずのバーがある。マスターは恐らく俺らと同年代。数々行ったバーの中でも、最高水準の素晴らしさ。
C) ラム専門のバーに案内する。
D) ゴールデン街で1軒開拓し、1軒紹介を受けている。君好みではないかもしれないが、興味深い同所の足がかりにはなるかも。
私は彼が B を選ぶであろうことを確信して、送信ボタンを押した。そして彼は、B を選んだ。そして今、私たち2人は双方好みのウィスキーを目の前に、懐かしいジャズを聴きながら、既に長い時間を過ごしていた。
(次回に続く)
アイリッシュ・ウィスキーの温かさに身体を包まれながら、くつろぎ微笑んでいる友人を隣に、私はバーテンダーの位置を気にしながら、囁いた。
「今俺がお前に送ることのできる、これがたぶん最高のものだ」
友人は頷く。言うまでもないことをあらためて口に出してしまった気恥ずかしさを感じながら、私はラフロイグを口にした。非常に珍しいことである。Ardbeg の置いてある店で、ラフロイグを頼むことは。
初めての結婚記念日を祝ったメールをきっかけに、その日私は、友人を誘い出していた。
友人は私がこれまでに数えきれないほどのバーを巡っていることを知っている。だから、彼と会うときは、たいてい私が店の候補を提案することになる。
その日もいくつか候補を挙げた上で彼に選んでもらった。携帯メールの送信履歴には、以下のような文章が残った。
A) 件の行きつけの店へ連れて行く。こないだの店の上だ。
B) お前なら絶対気に入るはずのバーがある。マスターは恐らく俺らと同年代。数々行ったバーの中でも、最高水準の素晴らしさ。
C) ラム専門のバーに案内する。
D) ゴールデン街で1軒開拓し、1軒紹介を受けている。君好みではないかもしれないが、興味深い同所の足がかりにはなるかも。
私は彼が B を選ぶであろうことを確信して、送信ボタンを押した。そして彼は、B を選んだ。そして今、私たち2人は双方好みのウィスキーを目の前に、懐かしいジャズを聴きながら、既に長い時間を過ごしていた。
(次回に続く)
2008年03月03日
面影はポート・エレンに 5
(前回の続き)
私は、滅多に何かをほめることはない。それは、自分の心をつかんで離さないほどの大きな価値を持つものが、なかなか見出せないからである。しかし、私は、自分がそのような価値を見出したと自覚した時には、包み隠さず、その気持ちを表すことにしている。
好きだ、とても素晴らしい、と。
そういった意味では、私は、Ardbeg Very Young と、Ardbeg 17年が好きである。いや、その個性を、愛しているといってもいいくらいである。Ardbeg Very Young はその激しさと荒々しさと、持っている力の強大さ故に。そして、Ardbeg 17年は、その洗練された美しさと、そのように美しくなるまでに経てきた、大いなる年月を連想させるが故に。
ウィスキーの1滴を作るために、どれだけの歴史と労力がそこに費やされているか、私は、公表されている知識としてしか把握してはいない。しかし、いわゆるエネルギー保存の法則を越えて、単なる大麦の化学反応液が、Ardbeg Very Young や Ardbeg 17年として私の心を捉えて離さず、そこに大きな価値を生み出すのであれば、私にとってウィスキーとは、酒とは、それはただ単にスノッブ的な価値感を越えた存在となるのである。
私は、未だに Ardbeg TEN を飲むと、心が躍る。その4年前に通り過ぎたはずの、隠しきれないほどの、強烈さと、力の強大さを感じて。そして、7年後に落ち着くはずの、豊かな経験を元にした、洗練された美しさを感じて。
面影は、ポート・エレンに。もう二度と、会えないわけではないのだと、そう思いながら、私はまたバーを巡ることになる。
(終)
私は、滅多に何かをほめることはない。それは、自分の心をつかんで離さないほどの大きな価値を持つものが、なかなか見出せないからである。しかし、私は、自分がそのような価値を見出したと自覚した時には、包み隠さず、その気持ちを表すことにしている。
好きだ、とても素晴らしい、と。
そういった意味では、私は、Ardbeg Very Young と、Ardbeg 17年が好きである。いや、その個性を、愛しているといってもいいくらいである。Ardbeg Very Young はその激しさと荒々しさと、持っている力の強大さ故に。そして、Ardbeg 17年は、その洗練された美しさと、そのように美しくなるまでに経てきた、大いなる年月を連想させるが故に。
ウィスキーの1滴を作るために、どれだけの歴史と労力がそこに費やされているか、私は、公表されている知識としてしか把握してはいない。しかし、いわゆるエネルギー保存の法則を越えて、単なる大麦の化学反応液が、Ardbeg Very Young や Ardbeg 17年として私の心を捉えて離さず、そこに大きな価値を生み出すのであれば、私にとってウィスキーとは、酒とは、それはただ単にスノッブ的な価値感を越えた存在となるのである。
私は、未だに Ardbeg TEN を飲むと、心が躍る。その4年前に通り過ぎたはずの、隠しきれないほどの、強烈さと、力の強大さを感じて。そして、7年後に落ち着くはずの、豊かな経験を元にした、洗練された美しさを感じて。
面影は、ポート・エレンに。もう二度と、会えないわけではないのだと、そう思いながら、私はまたバーを巡ることになる。
(終)
2008年03月01日
面影はポート・エレンに 4
(前回の続き)
それは、Ardbeg 17年という名の、最高に美しく、そして、もう二度と会えないかもしれないシングルモルトの面影だった。
Ardbeg は、個性がはっきりしているシングルモルトウィスキーの中でも、更に強烈な個性を持ったウィスキーをつくり出すアイラ島の蒸留所で作られたシングルモルトである。そして、そのアイラ島のシングルモルトの中でも、特に個性的で強烈なモルトであるといって、間違いないであろう。
その個性は、非常に強烈な煙臭さ(スモーキーさ)にある。ウィスキーの原料である大麦麦芽を乾燥させる際の燃料である泥炭がウィスキーの香り付けと個性にかなり大きな役割を果たしているのだが、この泥炭の香りが Ardbeg は特に強く、豊かなのである。換言すれば、それはとてもキツく、臭いとも言えるのではあるが。
普通、見かけるのは、Ardbeg TEN(10年)である。一番の見慣れているのも、これだ。しかし、私が最も好んでいるのは、Ardbeg Very Young(6年)と、Ardbeg 17年だ。この2つのモルトは、ほぼ全く違った個性を持ち、それ故に、私を強く惹き付けるのである。
最初に飲んで一番衝撃を受けたのは、Ardbeg Very Young である。まだ6年しか熟成を経ておらず、非常に荒々しく、口に含むだけで、まるで京劇役者の剣舞のように、強烈な勢いで舌を攻めてくる。痛いほどの刺激の中で、しかし、その刺すような痛さののひとつひとつに、単なる荒々しさとは異なった、蓄積された力を感じるのである。まるで久方ぶりに好敵手を得たような、そんな高揚感を伴って鑑賞できるモルトなのである。
それに対して、ポート・エレンに面影を見た Ardbeg 17年は、極度に洗練されており、非常に「美しい」。どんなに辛い体験をしても、苦しんでいても、それを自分の中で消化し、受け入れ、表にははっきりと出さないでいるようでいて、内面の奥深さを予感させてしまうような、謙虚さがある。
私が「女性として」惚れてしまった美しさとは、それだ。たとえ内面はどんなに奥深くどろどろしていたとしても、それを感じさせないような、洗練された立ち振る舞い。それでいて、その奥深さを全く隠してしまうのではなく、危うさや、妖しさや、悲しさを予感させるような、ちょっとした仕草。私は、Ardbeg 17年を飲んだ時、それが、自分が女性に対していつも求めていた価値であることを、強烈に自覚せざるを得なかったのである。
酒は嗜好品である。だから、ひとつひとつの酒の間には、本来優劣など存在しない。存在するのは、ひとつひとつの酒の個性であり、その個性を自分が好きでいられるかという、たったそれだけのことである。
私は、Ardbeg 17年により、自分の理想とも思える女性像を、目の前に突きつけられたのである。そして残念なことに、もはや Ardbeg 17年を、普通のバーで見かけることはない。もはや殆ど、市場に流通していないと思われるのである。そして……それを人として、捉えた時にも。
しかし、その面影がまさに、友人の結婚記念日に迷い込んだバーで偶然飲んだ、ポート・エレンに映り込んでいたのだ。
(次回へ続く)
それは、Ardbeg 17年という名の、最高に美しく、そして、もう二度と会えないかもしれないシングルモルトの面影だった。
Ardbeg は、個性がはっきりしているシングルモルトウィスキーの中でも、更に強烈な個性を持ったウィスキーをつくり出すアイラ島の蒸留所で作られたシングルモルトである。そして、そのアイラ島のシングルモルトの中でも、特に個性的で強烈なモルトであるといって、間違いないであろう。
その個性は、非常に強烈な煙臭さ(スモーキーさ)にある。ウィスキーの原料である大麦麦芽を乾燥させる際の燃料である泥炭がウィスキーの香り付けと個性にかなり大きな役割を果たしているのだが、この泥炭の香りが Ardbeg は特に強く、豊かなのである。換言すれば、それはとてもキツく、臭いとも言えるのではあるが。
普通、見かけるのは、Ardbeg TEN(10年)である。一番の見慣れているのも、これだ。しかし、私が最も好んでいるのは、Ardbeg Very Young(6年)と、Ardbeg 17年だ。この2つのモルトは、ほぼ全く違った個性を持ち、それ故に、私を強く惹き付けるのである。
最初に飲んで一番衝撃を受けたのは、Ardbeg Very Young である。まだ6年しか熟成を経ておらず、非常に荒々しく、口に含むだけで、まるで京劇役者の剣舞のように、強烈な勢いで舌を攻めてくる。痛いほどの刺激の中で、しかし、その刺すような痛さののひとつひとつに、単なる荒々しさとは異なった、蓄積された力を感じるのである。まるで久方ぶりに好敵手を得たような、そんな高揚感を伴って鑑賞できるモルトなのである。
それに対して、ポート・エレンに面影を見た Ardbeg 17年は、極度に洗練されており、非常に「美しい」。どんなに辛い体験をしても、苦しんでいても、それを自分の中で消化し、受け入れ、表にははっきりと出さないでいるようでいて、内面の奥深さを予感させてしまうような、謙虚さがある。
私が「女性として」惚れてしまった美しさとは、それだ。たとえ内面はどんなに奥深くどろどろしていたとしても、それを感じさせないような、洗練された立ち振る舞い。それでいて、その奥深さを全く隠してしまうのではなく、危うさや、妖しさや、悲しさを予感させるような、ちょっとした仕草。私は、Ardbeg 17年を飲んだ時、それが、自分が女性に対していつも求めていた価値であることを、強烈に自覚せざるを得なかったのである。
酒は嗜好品である。だから、ひとつひとつの酒の間には、本来優劣など存在しない。存在するのは、ひとつひとつの酒の個性であり、その個性を自分が好きでいられるかという、たったそれだけのことである。
私は、Ardbeg 17年により、自分の理想とも思える女性像を、目の前に突きつけられたのである。そして残念なことに、もはや Ardbeg 17年を、普通のバーで見かけることはない。もはや殆ど、市場に流通していないと思われるのである。そして……それを人として、捉えた時にも。
しかし、その面影がまさに、友人の結婚記念日に迷い込んだバーで偶然飲んだ、ポート・エレンに映り込んでいたのだ。
(次回へ続く)
2008年02月28日
面影はポート・エレンに 3
前回の続き
私は目を丸くし、いいんですか、と、思わず聞いた。いいんです、と、答えが返ってくる。
一度注がれたものに対しての遠慮は無用である。まさか、元の瓶に戻すわけにもいかないのだから。私は、有り難く頂戴することにしたのである。
それが、初めてのポート・エレンだった。もう2年も前の話である。それ以来、たくさんのバーに行ったが、ポート・エレンを見かけたことはなかった。もっとも、私は全ての酒を知っているわけでもないのだから、当然見落としもあるだろうし、バックバーの2列目以降に入っていたとしたら、それはもう見えはしないのだ。
ともあれ、一番上の棚にあるのは、紛れもなくポート・エレンである。普通に飲もうとしたら、ワンショット数千円は平気でとられてしまうシロモノである。ところが、その日は、ワンコイン割引を実施している記念日。気になる酒はありますか、と問われた私は、狡猾にもそんな計算をしながら、言ってみた。
「ポート・エレンが気になりますね」
さすがにワンコインとはいきませんが、と、バーテンダーは、少し笑って前置いた。
「通常の半額で提供いたします」
Port Ellen 27年。ドイツでのウィスキーフェアでの特別記念ボトルらしい。既にキャプテン・モルガンを賞味し終えていた私は、ためらうことなく、ポート・エレンを頼んだ。
透明なチューリップの花びらの中に、琥珀色が注がれた。チューリップの花弁が蜜を守っているように、透明に煌めきながら、半球形に揺れているポート・エレンを包み込んでいる。
チェイサーを少し口に含む。キャプテン・モルガンの甘さは消える。マリーの記憶も洗い流される。新しい人を、迎え入れる準備をする、というわけだ。
ポート・エレン。私は少し息をのむようにして、モルトグラスを傾けた。
少し口に含む。香りが鼻に抜ける。煙の向こうに浮かぶ、熟成した豊かさ。敢えて自己主張をするまでもなく、内に秘められた才能が自然と色となってにじみ出てくるような、適度に抑制された力強さ。
脳裏に面影が浮かんだ。出会った初めて、それが最高に美しいと思ってしまった、ずいぶん昔にたった1回見ただけの、そんな「最高の女性」が。
(次回へ続く)
私は目を丸くし、いいんですか、と、思わず聞いた。いいんです、と、答えが返ってくる。
一度注がれたものに対しての遠慮は無用である。まさか、元の瓶に戻すわけにもいかないのだから。私は、有り難く頂戴することにしたのである。
それが、初めてのポート・エレンだった。もう2年も前の話である。それ以来、たくさんのバーに行ったが、ポート・エレンを見かけたことはなかった。もっとも、私は全ての酒を知っているわけでもないのだから、当然見落としもあるだろうし、バックバーの2列目以降に入っていたとしたら、それはもう見えはしないのだ。
ともあれ、一番上の棚にあるのは、紛れもなくポート・エレンである。普通に飲もうとしたら、ワンショット数千円は平気でとられてしまうシロモノである。ところが、その日は、ワンコイン割引を実施している記念日。気になる酒はありますか、と問われた私は、狡猾にもそんな計算をしながら、言ってみた。
「ポート・エレンが気になりますね」
さすがにワンコインとはいきませんが、と、バーテンダーは、少し笑って前置いた。
「通常の半額で提供いたします」
Port Ellen 27年。ドイツでのウィスキーフェアでの特別記念ボトルらしい。既にキャプテン・モルガンを賞味し終えていた私は、ためらうことなく、ポート・エレンを頼んだ。
透明なチューリップの花びらの中に、琥珀色が注がれた。チューリップの花弁が蜜を守っているように、透明に煌めきながら、半球形に揺れているポート・エレンを包み込んでいる。
チェイサーを少し口に含む。キャプテン・モルガンの甘さは消える。マリーの記憶も洗い流される。新しい人を、迎え入れる準備をする、というわけだ。
ポート・エレン。私は少し息をのむようにして、モルトグラスを傾けた。
少し口に含む。香りが鼻に抜ける。煙の向こうに浮かぶ、熟成した豊かさ。敢えて自己主張をするまでもなく、内に秘められた才能が自然と色となってにじみ出てくるような、適度に抑制された力強さ。
脳裏に面影が浮かんだ。出会った初めて、それが最高に美しいと思ってしまった、ずいぶん昔にたった1回見ただけの、そんな「最高の女性」が。
(次回へ続く)
2008年02月24日
面影はポート・エレンに 2
前回の続き
目は、カウンターの中を追う。1杯目の酒は、2杯目を探すための時間稼ぎのようなものだ。バーには時間を過ごすために来る。急ぐ必要は全くない。じっくりと探せばよい。そうでなければ、たいていは向こうから、何か薦めてくれるものだ。
ふと、バックバーの一番上の棚に目が止まる。一番上、ということは、それほど使う頻度の高い酒ではないだろう。そして、使用頻度の高さは、価格とは比例しないものなのだ。トリニティ、ビッグスモーク、そして、ポート・エレン。
ポート・エレン。今まで1回しか飲んだことがないし、この先、飲む機会があるかどうかなんて、全く未知数の酒だ。なにせ、1983年に操業停止をしている蒸留所だ。今から25年前。
最初にこの酒を飲んだのは、池袋のとある店だった。バーというよりは、若者向けの小洒落たダイニングバーに、それはあった。カウンターで酒を飲み、食事をしていると、チーフの料理人が話しかけてきた。
池袋も、相当バーを巡った。そんな話をしながら、一番好きなのがアイラモルトであることを、ふと明かすこととなった。料理人はそれを聞くと、カウンター奥の調理場に乱立する瓶の中から、おもむろにひとつの瓶を取り出してきた。
それが、ポート・エレンだった。たぶんボトラーズものだったと思うが、詳しくは覚えていない。瓶の底の方に、ほんの1杯分に満たないほど残っている、琥珀色の液体。
飲みますか、と、聞いてくる。飲みたくないわけがない。滅多に見かけない。初めての体験だ。私は、覚悟を決めた。ポート・エレン。今日は、2軒目はないな、と。
モルトグラスが目の前に置かれ、ポート・エレンが、瓶の中から注がれた。
全て。
瓶の中は、空になっていた。
(次回へ続く)
目は、カウンターの中を追う。1杯目の酒は、2杯目を探すための時間稼ぎのようなものだ。バーには時間を過ごすために来る。急ぐ必要は全くない。じっくりと探せばよい。そうでなければ、たいていは向こうから、何か薦めてくれるものだ。
ふと、バックバーの一番上の棚に目が止まる。一番上、ということは、それほど使う頻度の高い酒ではないだろう。そして、使用頻度の高さは、価格とは比例しないものなのだ。トリニティ、ビッグスモーク、そして、ポート・エレン。
ポート・エレン。今まで1回しか飲んだことがないし、この先、飲む機会があるかどうかなんて、全く未知数の酒だ。なにせ、1983年に操業停止をしている蒸留所だ。今から25年前。
最初にこの酒を飲んだのは、池袋のとある店だった。バーというよりは、若者向けの小洒落たダイニングバーに、それはあった。カウンターで酒を飲み、食事をしていると、チーフの料理人が話しかけてきた。
池袋も、相当バーを巡った。そんな話をしながら、一番好きなのがアイラモルトであることを、ふと明かすこととなった。料理人はそれを聞くと、カウンター奥の調理場に乱立する瓶の中から、おもむろにひとつの瓶を取り出してきた。
それが、ポート・エレンだった。たぶんボトラーズものだったと思うが、詳しくは覚えていない。瓶の底の方に、ほんの1杯分に満たないほど残っている、琥珀色の液体。
飲みますか、と、聞いてくる。飲みたくないわけがない。滅多に見かけない。初めての体験だ。私は、覚悟を決めた。ポート・エレン。今日は、2軒目はないな、と。
モルトグラスが目の前に置かれ、ポート・エレンが、瓶の中から注がれた。
全て。
瓶の中は、空になっていた。
(次回へ続く)
2008年02月23日
面影はポート・エレンに 1
昨年の今頃は、親しい友人の結婚式だったことを思い出した。とりあえずメールを送り、祝いの気持ちを伝える。試行錯誤しながらの共同生活を慮り、近いうちに飲もうと誘う。
なんとなく気持ちの定まらないまま、ふらっと降りた駅の近くで、1軒のバーに入った。よく行く駅ではあるのだが、範囲が広過ぎて、1軒1軒しらみつぶしにめぐっていても、まだまだ行ったことのない店がどんどん出てくる。そんな街。
前から目をつけていたバーだ。時間と金が無制限にはないから、なかなか行こうと思っていても行けなかった店。気持ちが定まっていなかったからこそ、財布の紐も緩む。看板に目を止め、行こうと思っていたことを思い出し、階段を下りて、扉を開けてみた。
琥珀色の店内。ただし、決して暗くはない。琥珀の中に光を透かしたときの、石の中で煌めく橙色。カウンターの奥には、ハードリカーの瓶が立ち並ぶ。ひとつひとつの瓶は全く異なった個性を持っていながら、まるで幾何学模様のように、透明感のある輝きを放つ。繊細で壊れそうなカクテル・グラスとのコントラスト。シェーカーの銀の輝き。くるくると回るバースプーンの、まるで終わりのない円運動。
偶然にも、同店は6周年で、ワンコインでたいていの酒を給するとのこと。普段はあるはずのハイスツールは全て片付けられ、スタンディングで酒を飲む。キャッシュ・オン・デリバリー。実に合理的で後腐れがなく、私の好きなスタイルだ。
1杯目を少し迷ったが、キャプテン・モルガンを頼むことにした。友人の結婚記念日に当てられたらしい。いくらハリーを気取ってみても、マリーは探せるわけではない。
目の前に出されたのは、背の高いキャプテン・モルガンではなく、背の低いプライベート・ストックだった。思わず声に出る。
「プライベート・ストックが、ワンコインとは、素晴らしい」
酒には、何も混ぜないのが性に合っている。氷ですらも。だから、たいていはチューリップの中の琥珀色の液体を、少しずつ減らしていく作業に徹することになる。
考え事をするには、ちょうどいい飲み方だ。喉を鳴らしていては、頭の中に、余計な音が反響してしまう。喉を鳴らすのではなく、まるで自分の口の中に最初から存在するように、琥珀色は少しずつ、自分と一体化していくのである。
(次回へ続く)
なんとなく気持ちの定まらないまま、ふらっと降りた駅の近くで、1軒のバーに入った。よく行く駅ではあるのだが、範囲が広過ぎて、1軒1軒しらみつぶしにめぐっていても、まだまだ行ったことのない店がどんどん出てくる。そんな街。
前から目をつけていたバーだ。時間と金が無制限にはないから、なかなか行こうと思っていても行けなかった店。気持ちが定まっていなかったからこそ、財布の紐も緩む。看板に目を止め、行こうと思っていたことを思い出し、階段を下りて、扉を開けてみた。
琥珀色の店内。ただし、決して暗くはない。琥珀の中に光を透かしたときの、石の中で煌めく橙色。カウンターの奥には、ハードリカーの瓶が立ち並ぶ。ひとつひとつの瓶は全く異なった個性を持っていながら、まるで幾何学模様のように、透明感のある輝きを放つ。繊細で壊れそうなカクテル・グラスとのコントラスト。シェーカーの銀の輝き。くるくると回るバースプーンの、まるで終わりのない円運動。
偶然にも、同店は6周年で、ワンコインでたいていの酒を給するとのこと。普段はあるはずのハイスツールは全て片付けられ、スタンディングで酒を飲む。キャッシュ・オン・デリバリー。実に合理的で後腐れがなく、私の好きなスタイルだ。
1杯目を少し迷ったが、キャプテン・モルガンを頼むことにした。友人の結婚記念日に当てられたらしい。いくらハリーを気取ってみても、マリーは探せるわけではない。
目の前に出されたのは、背の高いキャプテン・モルガンではなく、背の低いプライベート・ストックだった。思わず声に出る。
「プライベート・ストックが、ワンコインとは、素晴らしい」
酒には、何も混ぜないのが性に合っている。氷ですらも。だから、たいていはチューリップの中の琥珀色の液体を、少しずつ減らしていく作業に徹することになる。
考え事をするには、ちょうどいい飲み方だ。喉を鳴らしていては、頭の中に、余計な音が反響してしまう。喉を鳴らすのではなく、まるで自分の口の中に最初から存在するように、琥珀色は少しずつ、自分と一体化していくのである。
(次回へ続く)


