酒を飲まずにはいられないような生き方はしていないつもりでも、酒を飲みたくなってしまうような出来事には事欠かない。
久しぶりに写真を撮った。RICOH GR は最高の相棒で、その時の自分の内面を正確に反映させる。シャッターを押した瞬間に、良い作品が撮れたかどうかは、大抵感じることができる。
子供達の遊ぶ公園を過ぎる。団地の隙間の小さな店の群の間を進む。重なる日常の隙間を抜けて、今まで行ったことのない場所を歩いていく。車の音は遠く、電線と鉄柵が空を縦横無尽に切り取る。しかし、シャッターを押しても、充実感がない。いつまで経ってもファインダーに残るのはただの映像で、それは自分を映し出してはいない。
無理矢理に癒しを求めて空を撮ってみても、眩し過ぎる光を捉えきれない。山下達郎が蒼氓を歌っても、琥珀色は輝いて来ない。ただ足を交互に動かし進むことで、目的地に近づいたつもりになるしか、術がない。
いつしか強烈だった太陽の光は淡い雲のグラデーションに包まれ、空を青から赤へと染め上げようとしている。私はがっかりして、太陽に背を向ける。朽ちていく太陽などいらない。
結局、自分の心を唯一映し出したのは、ゴミ捨て場に捨てられていた、なんてことはないビール瓶の詰まったケースだった。
1本1本の酒を積み重ねるように飲み干し、排泄をしては解決したような気分になって、また明日を迎えようとしていた人の残骸。瓶に写った歪んだ自分の姿を見ていないふりをしては、それをゴミとしてまとめて片付けようとする人間達の、艶めいた自己満足。
私はレンズを向けて、それを切り取るためにシャッターを押した。冷徹な目で観察できる対象をそこに感じ、そこに写り込んだ自分を、確実に意識しながら。