2008年08月15日

制作者の手の平で

ビデオゲーム(テレビゲーム)の先進性は、それが「鑑賞者自らが演じることのできる、唯一の映像作品を作ることができる」という性質に集約される。

ビデオゲームは、あらかじめプログラミングされ、あらかじめ設定された範囲内に止まるとはいえ、プレイヤーがフレーム(画面)内での動きと、一般的には絵画作品などの静止した芸術作品が持っていない、鑑賞者(=プレイヤー)の時間帯圏の流れを、自由に造り出すことのできるものである。

上演の度に、あるいは音楽の生演奏の度に、ひとつとして同じ作品が再現されるということはありえない。たとえそれが同じシナリオであっても、同じ楽譜であったとしても、録画された映像や録音された音源のように、繰り返し同じものが再生されるということがないのである。

だから、ビデオやDVDなどのパッケージと、ビデオゲームのパッケージには、その内容物が秘めている「映像の可能性」というものに、大きな差があるといえるのである。我々がゲームのパッケージを手に取り、そして開封してゲーム機(ハード)の中にそのソフトを入れた瞬間から、そこにパッケージされた「ゲーム」というカテゴリーの映像作品は、制作者/企画者の意図を、プレイヤーという参加者の感覚器官や思考を媒介として、あらゆる方向へ押し広げていくのである。

映画館で鑑賞する映像は、制作者が編集し構成した時間の流れの通りに再現された。そしてビデオデッキが普及し、あらかじめ構成された映像は、早送り/巻き戻しなどの機能付加により、映像の再現に関して、一定の変化の可能性を与えられた。ビデオゲームの登場で、映像の可能性は更に飛躍的に広がったといえる。

ハードの性能とインターフェイス。映像の可能性は、それらの向上と工夫によって、更に広がり続けるだろう。

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メインの仕事が「英語講師」であるために、世間一般には自分の職業を「英語講師」と紹介しているが、私の最も得意とするところは、実は文章表現だったりする。現在は職場の映像科で小論文/視覚表現の指導にも携わっているのだが、今回の講習会中にいきなり思い立って、上記の文章を書いてみて、講評時に講師作品として出品してみた。

書くのにかけた時間が30分くらいで参考作品扱いなら、まあまあというところか。
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2008年07月31日

蜃気楼

Smoke Stings Studio のリニューアルの為に、久しぶりに自分の書いた文章作品に接することとなった。

数年前、或は10年前に自分が書いた作品を、HTMLのタグの改変を行いながら、流し読みをする。自分で書いた作品。内容は、すべて知っている。一字一句が改変不可能なほどに精密に作り込まれた、その内容を。

あの頃の自分には、文章しかなかった。自分は音楽を奪われた、と思い、すべてを文章に注ぎ込んだ。子供の頃から自分の一番の得意分野にただ漫然と接するのではなく、生まれて初めて、自分の存在意義として、文章を書こうと思っていた。

しかし、今ここに、言葉を外に出すことを怠るようになった私がいる。私はもっぱら自分の生徒が、言葉を外に出すことでの自己表現を行う手助けのみを行い、自らの心を、言葉で言い表す努力を、しなくなっている。

あの頃の私と違って、今の私には、自分の世界観を表現する手段が豊富にある。歌、ダンス、デザイン、写真、文章……。バーカウンターに坐っていたり、肌の温かみを感じたり、青空の下でアイスクリームを食べたりすることでさえ、今の私には、自己表現のように思える。

自分の回りには今、あまりにも多くの手段が溢れ過ぎている。生活し、生きていくことひとつひとつにまつわる全てが、表現手段として、私の回りを取り巻いているのだ。

結果、私は、自ら意図的には、何もすることがなくなってしまう。周りを取り巻くもの全てが表現となるのであれば、その中から敢えて一つを選び出す必要性は、もはやないのだから。

今の私には、天色の花を咲かせる為に荒野を耕す行為すら、蜃気楼のように儚く思えてしまう

これは果たして、成長したと、いってよいものなのだろうか……。
posted by 成瀬隆範 at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 考える。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月21日

【出場します】P-1 グランプリ

本日、新宿で開催されるポップダンス(ストリートダンス)のイベント P-1 グランプリにエントリーしました。

後20分程で始まります。さて、どうなることやら…。
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2008年06月06日

それはわがまま

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という言葉があるが、袈裟が気に入らないからという理由で、坊主を憎んでいるような状態を良く見かけるような気がするのは残念なことだ。

一部をあげつらうことで全体を貶めてしまうやり方には、ウンザリしている。ネット上で良く見かけるなー、と思っていたら、今日は、現実世界で見ることになってしまった。

自分で作ったものすら、すべて気に入るということはめったにないものなのだから、他人が他人の作ったものに、細かくいちいち突っ込みを入れていたとしても、そんなものは軽く受け流してしまうべきではないのだろうか?

自分の全てを気に入られるということはないし、他人の全てを気に入るということもなかなかない。だからこそ、気に入らないその部分を上手く受け入れるなり、無視するなりして進んでいくのが、上手く生きていくやり方なのではないか。

ほんの一部だけが気に入らないという理由で何かを探し続けるのだとしたら、その人は一生さまよい続けていくしかないような気がするのだ。
posted by 成瀬隆範 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 考える。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月25日

久々

ブログの更新怠りがちになってました…。

ちょっと前に身体を壊し、今、少しずつ快方に向かっています。

そのくせ仕事でやらなきゃいけないことが多く、その意味では充実した日々です。今年も、新しい方向性を持つの仕事が増えたので。

あんまり金にはならないけれど。

昨日今日は、そんな忙しい中の息抜きの日にしました。明日からまた、がんばらなきゃ。
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2008年05月04日

踏踊

ダンスを日本語に訳す時、それは「舞踏」もしくは「舞踊」になる。

それでも、多くの日本人が「舞」の要素しか見れていない気がするのは、気のせいだろうか。

それは、とても残念なことなのに。
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2008年03月24日

壊れやすい贈り物

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手紙。

これからも学院でがんばって下さい。これからも、学院で、がんばって下さい。私が学院にいることが、まるで当たり前みたいに。

手作りの鎖はどうやら壊れやすいみたいだけれど、それでも少なくとも、私をつなぎ止めるくらいの強さはあるはずだ。

「あなたは一体、生徒を教える、ということを捨てることができるのですか」

そんな問いを、全く見知らぬ人から投げかけられたのは、つい最近のことだ。それも今はもう、まるで遠い過去のようなものだ。
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2008年02月08日

太陽と埃

真新しい靴を履いて、昔聴いた曲をかけ、今日は朝の喧騒の中に久しぶりにいた。

朝飯を食べながら、とれかかったボタンを縫う。たった2時間のために。

まだ先は見えない。

ただ、今のままではいたくない気持ちが募る。太陽の光が射せば埃も目立つだろうが、今はそれも懐かしい。

決して戻るのではなく、進むために、まだまだやることが多い。
posted by 成瀬隆範 at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 考える。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月01日

次々と

この世の中に、「似ている人」がどれだけ存在しているのかはわからないが。

今日偶然隣に座った人は、信じられないくらい、自分の知っている人に似ていた。

他の人にはあまり話さない人の話をしたのは昨日。そして今日。

偶然にもほどがある。




これから自分は、新しいところへ、踏み出す。

とても大変だけど、活気のある2ヵ月にしたい。これからは。
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2008年01月31日

中国餃子

「顔の見えない」商売は、当てにならない。

いつでもどこでも、同じものが食べれるという感覚がおかしい。

その土地でつくられたものを、その土地に住む人たちの感性で調理する。これが、当たり前だと思うのだ。

飲食店やコンピニなどで、1回でもバイトをすれば分かることだ。自分たちが取り扱ってるものに対して、自分たちの商品を買ってくれる人達に対して、愛情を持って接しているのかどうかは。

昔は、交通機関が発達していなかった分、顧客のことを考えずに商売することは、即商売の不成功を意味した。近所の評判。それが、何よりも大切な要素だったからだ。

しかし、現代は違う。自分が普段口にしている食品がどこの場所で作られたかを意識しないで、人はモノを口にしている。

相手の顔が見えないのに、相手のことを愛せるわけがない。

自分の顔を見てもらっていないのに、相手が、自分のことを大切に思ってくれているわけがない。

現代の大量消費社会なんて、その程度のものなのだ。残念ながら。
posted by 成瀬隆範 at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 考える。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月21日

砂嵐

私は、自宅にテレビを持っていない。この7年間というもの、ほぼ全くテレビを見ずに、普段の生活を送っている。

テレビというのは不思議なもので、あると、つけてしまう。特に、一人暮らしで語る相手もおらず、一人で多くの時間を過ごさなければいけないときなどは、「人の声」で部屋を満たすことのできるお手軽な手段となる。

テレビを自宅に置かなくなったきっかけは、引っ越しだった。引っ越しというものは大変な労力を伴うものだが、新しい生活スタイルを計画するには実に良い機会で、私は、ケーブルテレビを見ることによって得られる利益と、それによって取られてしまう時間的損失を計算した結果、時間的損失のほうが大きいと判断したわけである。

その当時はまだネット黎明期に近く、コンピューターも今ほど普及していなかった。私が当時持っていたのは Windows CE 機(!)であり、ネットを閲覧することは可能でもあまり快適に見れる状態ではなかったし、第一、見るべきウェブサイトを自分で探す労力をかける意志がなかった(あの頃はまだ Google のような優秀な検索エンジンが一般的になる前だった)。

コンピューターもほとんど触らない、テレビを持っていない、となると、他にやることは、本を読むくらいしかなかった。だから私は、あの当時、ひたすら本を読んだ。

当時はバイクに乗っていた。私は、自宅から勤務先に行く途中にある、あらゆる図書館から本を借りまくった。おそらく、1ヶ月に50冊は、本を読んでいたと思う。同時に、図書館で貸し出ししている CD も借りまくっては MD に録音し、 最終的には、MD だけで800枚ほどの音源を揃えることとなった。

その頃からずっと今まで、私は、テレビの映像とはほぼ無縁で生きている。誰かが作った映像を、自分の意志とは無関係に機械に受信させ、自分の中に取り込れることを、もうずっとやっていない。しかしそれは、私が外の世界の情報の受信を拒否しているということを、意味しない。私は外の世界に対するアンテナを出したまま、ただ、あらかじめ設定された映像が映ることを拒否して、今までやってきたのである。

テレビという、私に世間一般用に薄く広げられた情報を提供し、私の進むべき道に一定の方向性を与えてしまう存在とは、今の私は無縁だ。その代わり私はコンピューターを使用して、この広大なる外部記憶(インターネット)の世界を辿る。この外部記憶の世界はほとんどがゴミのようなものだが、ときどき、その中にゴミ以上の価値を持つものが転がっていることがある。

私は、そんな微細な情報の集合体の中で、時には目を凝らし、時には目を覆いながら、自分の足で進む。もちろん、情報の集合にも一定の方向性が見られることも多いが、少なくとも、自分の自由に探っていくことができる。

ただ、映像が写し出されるのを、待っているのではなく。
posted by 成瀬隆範 at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 考える。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月15日

レディーファースト

まさにそう

その価値がある人には、いつだって、最大限の礼節を持って接する気持ちでいる。

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昨日、学院で「忘れ物」の中に置いてあった。

これを欲しいといった人のために、寒空の中、数十店鋪のコンビニを歩いて探しまわった。そんなことがかつてあったことを、ふと思い出した。
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2007年12月28日

もはや知は力ではない

何事でも、アウェーは辛いものなんだな。

「日本人はリズムで踊るのではなく、メロディーで踊る」という言葉を、とてもよく実感する。自分の実感としては、「日本人は、なぞるのが好きなんだな」ということ。

「良い曲か、悪い曲か」よりも、「知ってる曲か、知らない曲か」が基準なのかもしれない。

まあ、当たり前のように、社会構造と同じ、そんなわけ。

だからこそ、かなりの情報(データ)が細分化/外部化され、インターネットなどを通じて共有されているこの時代に、知識を誇ろうとする人が跡を断たないのかもしれない。

もはや、「知は力」の時代は終わった。優れた感性を伴わないで知を行使する人間よりも、インターネットに繋がったコンピューターが一台あった方が、少なくともデータの入手という面では、より効果が高いのである(ある程度までは、だが)。

人間の魅力や価値は、「データ」とは別のところに存在する。それこそが、いつも私が見ようとしているものだ。
posted by 成瀬隆範 at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 考える。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月27日

Jo Funk

吉祥寺 Starpines Cafe にて。予定より2ヶ月ばかり早く、行くことになった……。

最近、ファンク系のイベントが続く。今月初めの FUNK Train では、はプロのロックダンサーがサークルバトルやってた。

最近はダンスやってます。人に教わるのは性に合わないので、全て自己流。

ブログやサイトの更新が滞るのは、それが理由。代替、あるいは、もっと直接的な表現手段を見つけてしまった、というわけ。
posted by 成瀬隆範 at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 考える。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月17日

データ入力の作業があるというのに

キーボードのスペースキーが効かなくなった……。これじゃ必要なことが何にもできやしない……。
posted by 成瀬隆範 at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 考える。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月12日

崩れた音がする

ピアノを弾いている。黄色に古ぼけた小さな部屋の中で、向かい合っているのは、調律のひどく狂った、アップライトのピアノ。

艶めいた黒に自らの顔を映しながら、指はぎこちなく鍵盤を滑って行く。楽譜を正確になぞるような真面目な性格でもなく、記載されたコードから、自分の感覚に従って、ただ、過剰なまでの和音を次から次へと叩き付ける。

艶やかな漆黒に映った自分の顔を見る。10年前と同じ。大して何も、変わってはいない。生活スタイルも同じ。仕事上のストレスとはほぼ無縁な、自分らしさを保つために維持している、最低限の生活。

両手を広げる。卵を持つように、なんて、基本を守るような正式な指導はろくに受けてはいないし、そんなものを守る程、従順で律儀な性格もしてはいない。ただ蜘蛛のように指を広げ、白と黒の交互に並んだ鍵盤の床を、適当に這い回っているだけ。

だから大して上手くならないんだよ、と、心が語りかける。分かり切っていることじゃないか。特に左手はいつもワンパターンで、右手だってブロックコードを繰り返すことしか出来ていないじゃないか、と。

知ったことかよ、と、心の中で言い返してみる。俺はボーカリストだ。ピアノはあくまでも補助的なものに過ぎないんだよ、と。

崩れた音がする。この場所では、どの個室を選んでも、調律の狂ったピアノしかありはしない。私は隠れるように空き部屋を探し、昨日の部屋を今日は既に忘れ、偶然見つけた同じような部屋に、細く扉を開けては今日も滑り込んで行く。
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2007年12月10日

あの頃の距離感

生きていれば、様々な空間の中を生き、そこで幾ばくかの時間を過ごす。好きな空間もあるし、居心地の悪い空間もある。しかし最終的には、恐らく人は空間に定着する生き物なのだろう。

だから私は、ここ数年自分が居着くことのできる空間を探して彷徨っていた。ひとりで酒を飲んで歩く。性格的に大資本経営の店舗は性に合わないことが多いので、主に個人経営のバーを巡り歩いていた。

たいていは、早い時間に行動する。夕方4時〜5時にはもう、バー巡りがはじまっている。早めの時間にひとりでバーに入れば、他に客もいないので、必然的にバーテンダーと会話をすることになる。

自分の脚で歩き回り、自分の空間を探して行くうちにわかってきたことは、そこに「人がいる」ということだ。テーブルや椅子、内装、料理、音楽。それら空間を構成する全ての要素を作り出したのは「人」であり、その空間を構成する全ての要素を選び出したのも、「人」なのである。そして、その店に来店する客も、ひとつのイメージを作り出す。もしも自分以外の他のお客さんも、自分と同じように、何かに共感できる空間を求めて彷徨っているのだとするならば。

たぶんあの頃は、自分が今いる場所に、距離感を感じはじめていのだろう。ここは自分のいるべき場所ではないのかもしれない、と。
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2007年12月03日

That's A Joke

おかしな一週間だったな……。

7日間ほぼ連続で「映像科の妖怪猫娘」の顔拝むなんてことは、一生のうちにそう何回もないだろうよ。

真夜中のモスバーガー。面白過ぎだろ、あの落ちは。

別に、嫌いじゃないが。
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2007年11月30日

See Ya

いつものように、誰とでもするような当たり前の会話をしながら、エレベーターを待つ。

いつものように、エレベーターが大儀そうにやって来て、重苦しい扉を開ける。

いつものように、私は壁に背を預け、地上階のボタンを押す。

いつものように、あの人はお辞儀をする。

いつものように、私はあの人の姿を、伏し目がちに見ている。

いつものように、エレベーターの扉は閉まる。あの人の姿は、左側から少しずつ、金属の壁に遮られ、遂には見えなくなってしまう。

思わず口をついて出る、「また……」という言葉。

私は小さな箱の中で、その言葉の意味を、ただ考えてしまっていた。

いつもとは違って。
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2007年11月26日

Dead

生の歌声を聞く度に、「ソウル」とはあの程度のものかと思ってしまう。

たぶん、自分の感覚がおかしいのだろう。


おかしいのは、自分の感覚の方だ。

そう思わなければ、やっていけない。


なんでこんなに、つまらないのだろう…。


音楽活動から離れていたのは、それが理由なんだ。


なんでこんなに、つまらないのだろう。


本物が見えない。
posted by 成瀬隆範 at 01:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 考える。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする