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2007年01月30日

時間

美大の小論文 参考作品更新。

落ち葉になる一瞬

 晩秋。樹々の葉が赤や黄色に染まる。来るべき冬に備え、樹々は染まった木の葉を落とし、地面を色とりどりの絨毯に染め上げる。
 落ち葉は、最初から落ち葉だったわけではない。最初は枝に宿された単なる葉として生まれ、そこで成長を重ねていく。春に芽吹き、夏に盛り、秋に色づき、そして、冬を向かえようとするまさにその時、落ち葉となって冬の当来を告げるのだ。
 枝から落ちる、その一瞬。ほんの一瞬の時間が、ただの葉を「落ち葉」に変える。ただの葉は、落ち葉という名を与えられ、樹ではなく、土を肥やすという新しい任務を帯びて、地面に到達する。私達はそれを踏み付け、落ち葉はだんだんと土と一体化し、バクテリアという微細な生物によって、土に還元されていく。
 今も私の頭上では、さまざまな枝が、至る所で落ち葉という瞬間の連続を、気紛れに生み出し続けている。
posted by 成瀬隆範 at 13:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月28日

記憶(記録)

美大の小論文 参考作品更新。



 誰もいない早朝、街の電柱の根元に積まれたゴミ袋の上で、小さな黒い影が振り向く。
 鴉。
 優しい朝の光、けだるい空気の澱みに停滞した街で、強靱な爪をアスファルトに叩き付け、無数の黒い影が廃棄物の山から山へと、面倒臭そうに飛び回っている。彼らは、いつだって我が物顔で、基本的には、人間を嘲っているのだ。
 人間は欲望のおもむくまま様々なものを作り出し、それに飽きてしまう。私達はそれをゴミ呼び、袋をかぶせ、パンパンに膨らませて捨ててしまう。ゴミには、人間の欲望がそのまま記録されている。しかし鴉は、人間がもはや見向きもしなくなった記録に、生命の最も根源的な意味を見い出し、それを食する。
 鴉には、人間にはもはや見えない真実が見えている。
 だからこそ我々は彼らを追い払う。そしてまた我々は、今日もゴミを捨てるはめになる。




喫茶店R

 神田神保町。久しぶりに、大通りを外れて裏路地に入ってみた。大通りの喧噪を外れた止まったような空気の中で、いつもあるはずのものがなかった。
 喫茶店R。常に私の中で「神保町」の一部を成す、なくてはならない存在。胸騒ぎ。走りたいような気持ち。閉まったガラス戸。その向こうにはもう誰もいない。
 数年前から、再開発が進んでいる地域である。事実、なくなってしまった店鋪も多数あり、代わりに新しい店舗が入っている。
 しかし、それはあの街には相応しいものではない。新しい店舗のほとんどは、大資本によって店舗数を拡大する大手企業の支店だ。そんな店舗なら、どこにあっても同じだ。別に、神保町になくてはならないものではない。
 どこにでもある置き換え可能なものが、どんどん置き換え不可能なものを食い潰している。私の知っている神保町は、もう、記憶の中にしかなくなってしまった。




わかる人はわかる。リメイクです。
posted by 成瀬隆範 at 14:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

美大の小論文 参考作品更新。

ざらついた記憶

 真っ白で綺麗なお皿が、恥をかいた。
 洗われたばかりの、純白のお皿。水滴が布巾で拭われ、ピカピカに磨かれて、料理が乗せられるのを、棚の奥で神妙に待っている。
 そのはずだった。
 しかしお皿が取り出された時、既に別の深皿に、キュウリとレタスの緑、トマトの赤、パプリカの黄色が、華やかに盛り付けられていた。つやつやの色。瑞々しく、新鮮に。
 取り出されたお皿は、期待した。自身の純白の上に色鮮やかな、別の料理が盛り付けられることを。ぴかぴかの白が、料理の色を際立たせ、さらにおいしく美しく、食べる人を魅了することを。
 裏返された。そこから全てが、狂いだした。
 蓋。ただの蓋。純白の皿は裏返され、極彩色のサラダにかぶせられた。剥き出しになった、かすれた小さな真ん中の円。艶やかな純白の裏側に、そんな荒れ切ったザラザラの面を剥き出しにして。




威厳

 大きく、どっしりと。すいかはそう育てられてきた。いっぱいの太陽を浴び、十分に水を吸い、自らの果肉に瑞々しさを蓄えながら。
 収穫され、店頭に並べられても、大きく、どっしり。他のどの果物も差し置いて、すいかはその威容と存在感を、辺りに見せつける。
 一人の少女の手に取られるまでは。
 網に入れられ、少女に浜辺へ運ばれたすいか。網から出され、照りつける太陽の下に置かれ、そのままじっと待ち続けた。無慈悲な棒切れによって、叩きつけられるように破壊されるまでは。
 ぱっくりと割られ、真っ赤な果肉が剥き出しになった。
 すいかは恥をかいた。大きく、どっしり。どうせ割られてしまうのなら、そんなものが、何の役に立つというのだろう。剥き出しの果肉。無秩序に散乱した、赤い果肉と黒い種。
 無防備になったすいかは、棒切れの衝撃のままに、真っ白な砂の上でふるふると震えた。
posted by 成瀬隆範 at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

美大の小論文 参考作品更新。

失った嘘

 2進法。0と1との連続で決まる、コンピューターの言語感覚。
 ユーザーはコンピューターの画面を視覚的に捉える。私は自分の目で捉えるままに右手のマウスを頼りに、コンピューターを利用してあらゆる作業をやった。キーボードを叩き、マウスを動かし、クリックし、時にはその指示に従い、うまくやっていたはずだった。
 少なくとも、今朝までは。
 今朝。いつものようにコンピューターの電源を入れた。しかし、いつものような画面は現れない。いやな予感。冷や汗をかき始めた私の目の前の画面に表示されたのは、判読不能の、めちゃくちゃな文字列の連続だったのである。
 2進法。0と1との連続で決まる、コンピューターの言語感覚。私はその時、コンピューターが私に視覚的に嘘を吐き続けていたことを悟り、その嘘が、私をいかに助けてくれていたかを痛感した。




文字列の繋がり

 「メルアド、教えてくれる?」
 コミュニケーションとは、そうやって取るものだと、ずっと思ってきた。いつでも相手に繋がっていられるように、とりあえず携帯電話のメールアドレスを聞いておく。そうすれば、私と相手はいつでも繋がっていられる。なにかあったら、すぐメールすればいい。小さな機械の中に、私と、知人友人達との繋がりが、文字列の形式で集約されている。
 ずっと、そう思っていた。
 しかし、携帯電話は、いつからかずっと私に嘘をついていた。いくら送信しても、メールはすぐに戻ってきてしまう。その時、初めて気付いたのだ。携帯電話が繋げていたのは、私とあの人ではなかった。
 繋がっていたのは、無邪気な思い込みのまま生活を続けていた無知な私と、もう存在しなくなった抜け殻のようなあの人のメールアドレスという、無意味な文字列のデータだったのである。




化かし合い

 修正液。文字を書き損じた時に、上から塗り重ねて間違いを正すもの。しかし、修正液にはもう一つ、秘められた役割がある。
 それは、紙の嘘を、暴くこと。
 紙は白。文字は黒。ほとんどの場合、人はそう思って、紙に文字を書き続けている。しかし、それは大いなる欺瞞なのである。
 紙は決して、白くない。その中には微妙な濃淡があるし、決して白とは言えないような紙も多く存在する。それを白と思い込むのは、文字の黒とのコントラストがあるからである。
 だから修正液は、大半の紙よりも純白であることを要求される。修正液自身の欺瞞――ただ覆い隠しただけで、決して「修正」できていないことを感じさせないくらいの純白を。
 今日もどこかで、嘘の吐き合いが繰り広げられている。紙と文字と修正液。重ね合い、だまし合いの記録が今日も、残されていく。
posted by 成瀬隆範 at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月07日

琥珀色の液体

琥珀色の夢を見る

美しいと思えるのは、造形ではない。その造形を作り出した「ひと」の心意気だ。琥珀色の液体には、形がない。しかし、そこには味がある。形なき感覚。

形にすることは、切り取ろうとする努力そのものだ。しかし、感覚を切り取れるはずがない。切り取りきれないはずの感覚を切り取ろうとする足掻き、そして努力は尊いものだが、私にとっては、「形」を切り取って明確にすることよりも、感覚を切り取ろうとしないことの方により惹かれてしまう。

新しい土地に建てた蒸留所で、初めてできた新酒。ニッカウヰスキー。環境が与えてくれた豊かさに感謝し、作り出されたばかりの新酒を、まずは美しき水流に還元する。そこに竹鶴政孝の人間性と心意気が集約されているように思える。そのことを思った時、本当に久しぶりに、涙が流れそうになった。

美しい人間。形ではなく、その感覚。
posted by 成瀬隆範 at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月13日

懐かしい友達のように

 初めてアードベッグを飲んだとき、これは、おばあさんの編んだ膝掛けだな、と思った。

 そして今日、アードベッグの2回目。やはり、温かい。

 アードベッグはシングルモルトの中でも極めつけに臭い、というような話を聞いていた。しかし、私が感じたのは、臭みではなく、温かい深み。

 臭いというならば、私にとっては、ラフロイグの方が臭い。というか、ラフロイグは、臭いというよりも、沈み込むように、荒々しい。

 今までは、私の好みは、ボウモアであった。若い女性、ボウモア。

 そしてこれからは、もう1つ、アードベッグも私の好みに付け加わる。おばあさんの編んだ、温かい、膝掛け。たぶん、色んなものを、包み込んでくれるような。

 Donny Hathaway(ダニー・ハザウェイ)をリクエストしてみた。どうしても、曲名を思い出せなかったのだが、「あのライブ盤のやつで、キャロル・キングの曲…」と、いったら、すぐにわかってくれた。曲を聴いて、やっと思い出した。"You've Got A Friend" だ。

「落ち込んだとき 困ったとき
…うまくいかないとき…
ただ、名前を呼べばいいじゃないか
…冬でも 春でも 夏でも秋でも
呼んでくれさえすれば 俺はそこに行くんだから」

 Donny Hathaway が歌っているのだから、当然これは、男の立場で見るわけだ。

 あとで気づいたのだが、どうやら、マスターが曲順を調整してくれたらしい。その次にかかったのは、1曲飛ばしたその次の、"We're Still Friends" だった。

 確かこれは、男と女がうまくいかなくなって別れて、それでもまだ、二人は友達だよ、と、そんな歌だった気がする。マスターがレコードの針を1曲分飛ばしたので聞けなかったが、たしか、Donny Hathaway が、前の曲の後奏から "We're Still Friends" へと続くイントロを弾きながら、こう語っていた気がする。

「ずいぶん前に付き合っていた二人がいて…
…何年も経って…偶然街で出逢ったんだ…」

 ちなみに、調べてみたら、"You've Got A friend" と "We're Still Friend" の間に入っていた曲は、"Little Ghetto Boy"。よくわかってくれているマスターで、本当によかった。

 "You've Got A friend" に比べたら、正直、だいぶ暗い曲だ。それでも、「俺達はまだ、友達なんだよな」と、そう、Donny Hathaway は歌う。

 そのあと、曲は "Jealous Guy" へと続く。見事な曲順だ。正直、惚れ惚れした。

「俺はちょっと、くやしいだけなんだよ」

 Leon Russell で聴きたかった曲を、ちゃんと思い出せなかったのは、ちょっと残念だった。仕方なく、定番の "Tight Rope" をリクエストしたのだが。

 後で思い出した。"Blue Lady"。聴きたかったのは、それだった。たしか「あの」ベスト盤の中で、"Tight Rope" の1つ手前に入っている曲だ。

 今日は本来の予定が狂ってしまった一日だったが、それでもすごく、よい時を過ごせた気がする。初々しいボウモアと、温かく深いアードベッグ、それから、大学生になりたての頃に聴いていた懐かしい曲、そして、その全部が、ごく親しい友達のように、そっと包んでくれていた。

 そんな空気感に溶け込んで、やわらかい夜の中に少しずつ、尖った気持ちは氷のように消えていった。
posted by 成瀬隆範 at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月29日

街はガラスの中

 散らばる影、移り行く光、なめし革の鈍さの中に、ぼんやりと映し出す光、次から次へ、通り過ぎてゆく人、暗がりの中へ、消えてゆく人、中を見ても、接することの出来ない、街はガラスの中、音もなく、ひとつひとつ、煌めいている、輝いている。
posted by 成瀬隆範 at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月10日

背中合わせの街

 駅。

 薄汚れた鉄柱、埃だらけの灯り、何もかもが入り交じる臭い、人の流れ、波、行き過ぎる壁、轟音、切り取る、薄暗がり、急にやってくる静寂、星のように、急速に流れ行く景色、色とりどりの情景、過ぎてゆくことはあっても、目に留まることのない、手の届かない走馬灯、包み込まれる音、感触、何処も見ていない人たち、うつろな目、閉じた世界、止まっている空間、流れ行く窓外、灰色に染まる窓、奇妙な黄色い空気、騒音、それでも打ち破れない、背中合わせの世界観。

 街。

 流れてゆくのは人、止まっているのも人、心細く降り掛かる雨、傘の華、色とりどりに、灰色と白の縞、くるくると回るような、一定のリズム、明滅、騒音、車、つんざく、突き刺さる、音、時折に、思い出したような雨音、傘に跳ね、つま先に流れ、水面を覆う、波紋、消えない、止まらない、揺れ続ける、雨だれ、汚れた水、美しく煌めく、か細い線、広がってゆく、小さな点、明滅、途切れる、歩き出す、人、壊される、次々と、真円の、描かれた水、大きく、揺らめき、真円の、壊された水。

 建物。

 強すぎる光、均一な空気、華やかに、作られた色、形、きらめき、排除された貧しさ、無様に、作り出された、綺麗な見栄の世界、明るく、綺麗な見た目、見た目は綺麗な、空間、演技をする人たち、男たち、女たち、自分をかろうじて、演技で保つ人たち、かろうじて、しがみついて、自分を確かめるための所有、交わしあう建前、日常の無様さを忘れた休日、明日からは、無様な日常よ、生活よ、また、お前がやって来るのを、誰もがわかっていながら。
posted by 成瀬隆範 at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月29日

スケッチブック

 ずっと、鉛筆描きでいようと思った。

 鉛筆で描けば、いつだって消してしまうことができる。時は過ぎてゆくものだし、人は変わってゆくもの。思い出を強く描きすぎれば、それはあまりにも鮮明で、多分ずっと心に残ったままになって、次の思い出が作れない。

 そう思って、ずっと、紙に鉛筆描き。

 自分の思うままに描いてみたはずの、そんな思い出。スケッチブックは次々に、何枚も何枚もめくられてゆく。どんどんページは進んでいって、そうして、唐突にやってきてしまった終わり。もう、描くことができない、そんなスケッチブック。これ以上、もう、思い出は描き込めない。

 消しゴムで消してみたのは、ただ新しい思い出を、また描き込んでゆきたかったから。

 ページはどんどん白くなる。思い出はどんどん消えてゆく。これでいい。これでまた、新しい思い出を描くことができる。そうしてうれしくなったつもりで、光に透かしてみたスケッチブック。

 そこにうっすらと残っていた、痕。

 強すぎた。あまりにも強く描き過ぎたんだ。たとえ鉛筆でもあんなに強く、ひとつひとつ刻みつけるように、そんなふうに描いていたら、たとえどんな消しゴムがあっても、痕は決して消えはしないんだ。

 悲しみの跡。スケッチブック。今そこに何を描いたとしても、どうしても浮き出てきてしまう思い出。いつまでもほのかに残り続けている、ますます悲しくなってしまったスケッチブック。

 消してしまおうとしなければ、こんなに悲しくはならなかったのに。捨ててしまうなんて、まさか、できるわけもなく、いつまでも片隅においてある、そんな悲しいスケッチブック。

辛島美登里 ーー「鉛筆描きの 愛を描けばよかった」:『二度目のさよなら』)
 
posted by 成瀬隆範 at 02:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月27日

小さな日だまり

 電車の窓に区切られた、床に映った日だまりは、けだるい昼間を映し出す。

 細長い車両、たくさんの人、その誰もが、入り込んでいる自分の世界。

 どれだけたくさんの人が居ても、みんな、お互いを気にしない。居ても居なくても同じ。ただ偶然が、空間に、みんなをそうして押し込んでいるだけ。

 床に映った日だまりは、時には消え、また映り、ちらちらちらちら、気にされず、小さな世界をひっそりと、床の上に描き続ける。
posted by 成瀬隆範 at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月26日

幻。見えるはずのない幻。

 そこでは見るはずのない姿、誰もいない駅のホーム、列車に取り残された、乗り遅れたそんな時、向こうから吹く風、真昼の陽射しの下、暖かく、優しく、じっとたたずんでいる姿、そこには居るはずのない、見かけるはずのない姿、ちらっと振り返るそんな一瞬、見覚えのあるあの顔、ずっと会いたくて会えなかったその顔、笑うことも、微笑むこともせず、遠くを見つめているように、どこかを見つめているように、無表情で、まるで私が見えない様に、視線は私を貫いて、ずっと後に消え去って、驚くことすらつかの間の、思わず立ち止まるその時、通り抜けてゆく風、轟音、傍若無人に突き抜けて、通り過ぎて消えてゆく列車、壊れてゆくスローモーション、追いすがることもできない現実、行ってしまう、消えてしまう、居なくなってしまう、そんな姿、懐かしい人影、今はずっと遠くで、静かに生きているはずの、見える筈のなかった、そんな、一瞬で壊されてしまった、そんな、どこか懐かしい人影。
posted by 成瀬隆範 at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月20日

よく似た女

ーー落ち葉の舞い散る停車場は 悲しい女の吹きだまり
最終列車が着くたびに よく似た女が降りてくるーー

(千家和也「終着駅」)

 たぶんそれは、よく似た女が降りてくるのではなくて、ただ降りてくる女に、自分とよく似たところを、ずっと探そうとしているだけ。

Maybe it's time
The last train came
Down to the doorstep
Fallen leaves never stop
A woman like me
Please c'mon, stay with me


 いつまでもいつまでも、木の葉のように舞い降りてくる涙、まるで冬のアスファルトを、裸足で歩いて行くような、そんな冷たい吹きだまり、胸に抱えたままの固まり、探し求める心の鍵、とうとうたどり着いた終着駅、ひとりたたずみ、いつまでも待ち続ける、そんな馬鹿馬鹿しさに涙、涙を抑え、やって来ては過ぎてゆく、そんな流れを止めたかった、ただそれだけのための終着駅、たどり着いたこの地では、何かがまた、きっとはじまるはずだとまた、人の流れは扉から、降りては過ぎ、乗っては過ぎて結局は、止まることなどひとときの、つかの間の休息に過ぎないと悟り、落ち葉が朽ちる様にまた、ゆっくりと、ゆっくりと、吹きだまった悲しみは、多分消えてゆくものだとまた、涙を飲み込んだままでまた、何もなかったかのように、ほら、ただの流れになってしまえ、忘れたままで流れてしまえ、そんな振りでもできるような、そうして生きていられるだけでも、まだましだと思ってしまえるように。

posted by 成瀬隆範 at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月02日

柔らかく揺れるプール

 コンピューターに向かってキーボードを叩き続けていたそんな時、私はふと、プールの匂いをかいだような気がした。

 懐かしさなのかそれとも、暑い夏からの逃避を望んでいたからか。私は思わず見えるはずのない、水色に揺らめく柔らかそうなプールを探して辺りを見回し、足の裏に真っすぐに伝わってくる、あのプールサイドの固い感触を感じてみようとした。しかし私の隣の席では、何事も変わらなかったかのように、同僚が一心にボールペンを走らせているだけであり、私はただ、自分が一人取り残されてしまったような、そんな沈み込んだような気分になっただけだった。

 幻想か、それとも、何かの予感か。不思議な感触はすぐに消え、半分地下に沈み込んだような構造の講師室の中でひとり、私は別の世界を知ってしまった異邦人のように、ただ手を止めてしばしの時間、その余韻を楽しむこと以外には何も手につかなくなってしまったのである。

 なぜあのような感触が、懐かしいプールの塩素の香りと共に、私を包むことになったのか。真相などわかるはずもないが、しかし、紛れもなくあの時私は、何となくクールで妙に懐かしい、プールで遊んでいたようなあの頃の時間と空間の接点を超えて、まるでその中にいることが当たり前のことであるかのように、爽快感よりもむしろ充実感を感じながら、透明感のある揺れる情景の中へ、一瞬にして沈み込んでいった。
 
posted by 成瀬隆範 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月29日

別れの挨拶

 喫茶店で、偶然にも中学、高校時代の友人にあった。

 実は彼の勤務先は私の仕事場の最寄り駅の南側に位置しているので(ちなみに、私の仕事場は北側に位置している)、彼も私も最寄り駅を同一とした同じ地域内で毎日のように働いている。しかし、それでも彼とは、一向に会う機会がないのである。下手をすると、偶然出会うまでは数年会わないままのこともあるくらいだ。携帯電話やメールの普及した時代には、何とも不器用なことだが。

 しかし、私にとって彼は、間違いなく親友、と呼べる人間である。たとえて言うならば、彼は陽の気を原動力として生き、私は陰の気を原動力として生きる、しかしある意味では、トランプの表裏のように本質的な部分を同じくした、そういう間柄なのである。そして不思議なことに、彼も私同様、英語講師をしている。もっとも、彼の場合はネイティブに近いので、当然、私よりもスピーキングは得意なはずであるが。

 前回彼と会ったのは、ほぼ間違いなく1年以上前のことだったと記憶している。ずいぶん、ご無沙汰してしまったわけだ。しかし、本日の彼には仕事場の同僚という連れがいたので、私と彼は、ほんの数分だけの時間を、立ち話で共有することとなった。以前と全く変わりなく、中学や高校の頃と変わらない仕草で話す。数年に1回合うだけの中であるということが、まるでウソみたいだった。また明日学校に行けば、あいつはまだそこにいて、まるでまた一緒に勉強をはじめるかのような。

 私と彼は、それぞれ別の席に座った。彼には連れがいたからである。そして私はさっさと食事を済ませ、喫茶店を後にすることとなった。ちなみに、これはいつもの方針だ。だらだらと長居するのは、好みではない。私にとって飲食店は、基本的に休息の場ではないのだ

 帰りがけに、ふと彼のいる席の方へ顔を向けてみた。

 …ああ、変わらないんだな。あの仕草は。あれは、あいつが熱く語っちゃう時の仕草だ。

 充実した気分だった。喫茶店を後にした私は、彼と別れの挨拶すら交わすことをしなかったが、それでも、彼とはまた会うことになるだろう。それがたとえ何年か先になったとしても、たとえ職場や境遇が違ったとしても、私と本質的な部分を同じくした彼が、以前とは変わらないままで、真っすぐにどこかで生き続けてゆくのを、私は多分理解することができるだろう。

 彼と次に会うことになったその日が、それが、私にとっての「明日」になる。時間の流れなど、どうでもいいことなのだ。それで私は、別れの挨拶をする必要性を感じなかったのかもしれない。
posted by 成瀬隆範 at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月24日

懐中時計くん

 腕時計ってやつが、どうにも性に合わない。

 時計がないと困る場面も多いし、個人的に携帯電話を人前でいじることには(特に、誰か他の人と一緒にいる時に)抵抗感と恥ずかしさを覚えてしまうタチのため、携帯電話の時計でまかなうというわけにもいかない。近年は SUNNTO のコンパスつき時計を妙に気に入って使用していたものの、やはり違和感は拭えなかった。

 仕事場に行けば、真っ先に腕時計は外して、机の上に置いてしまう。私が腕時計を腕につけて使用するのは、結局は家から仕事場までの移動時間だけである。外出するときは、移動が主になるので自然と腕時計をつけている時間が長くなるが、店などに入ってしまえば、やはり腕時計は外してしまう。結局、私は時計を腕につけるという必要性が、まるでないのである。

 そこで私が好むのが、懐中時計である。

 昨日、懐中時計が手元に届いた。手巻きの機械式懐中時計である。定価の4分の1程度の値段で購入したものだが、それでもそれなりに値の張った買い物だった。毎年この時期は、仕事が妙に忙しくなってしまうことへのストレス解消のためか、高い買い物をしてしまうことが多いのだが、今年はそれが、懐中時計だったというわけだ。

 さすがに英国の名門の会社の製品だけあって、質感は高い。文字盤の数字は、私の好みであるローマ数字。昼夜を分つ、小さな太陽/月の表示。文字盤に空いた小窓からは、円形の振り子のような部分がちかちかと動いているのが見える。耳に時計を当ててみれば、こちこちという、小さく時を刻む音。

 それが、ものすごくいいのだ。

 まるで、小さな生き物のようだ、そう思う。時を刻むという一つの目的のために、目からも、耳からも、私はその懐中時計が小さく自らの本分を果たしている証を感じ取ることができる。これはもう、たんなる無機質な機械ではなく、一生懸命生きている、私の小さな友達のようなものである。私はその小さな友達が時を刻むというその本分を果たすために、毎日ねじを巻いてやらなければならないが、それこそが愛着というものに、なってゆくのだろう。

 機械式時計ってやつは、クオーツよりも誤差が激しいらしいが、それはそれで良いのではないかと思っている。なにせ、この懐中時計くんは、小さく生きているのだから。

 生きて息づいていれば、何かがずれてくるのが、当たり前のことなんだから。
posted by 成瀬隆範 at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月29日

懐かしい夏

 いつもとは違う行き先のバスに乗ると、途端に懐かしい夏が戻ってくる。

 窓の外には、少し黄色い光があふれているようで、シートの下のエンジンがまるで鼓動のように身体の中で反響する。前の座席から覗く麦わら帽子の向こうに見える、多分あれはいつか見たことのある景色。少し薄暗い車内から、ガラスの向こうで吹いているはずの風を目で確かめてみる。強く緑色に伸びた草がなびき、木の葉が音も無く揺れる。遠くで遊ぶ子供たち。聞こえない声、どこかへ消えてしまった音、それでもそれは、もう触れることができるほどに近くなったあの頃の情景で、まるでそれは大きなガラス窓という画面で切り取られた、どこからか映し出された映像のようにくるくると動く。

 私はただそんな光景を、炎天下の中をゆったりと走ってゆくバスの中で、ただ気まぐれに乗ってみただけのバスの座席から、うっとりと眠そうに眺めてみる。
posted by 成瀬隆範 at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月21日

読まれぬために書く手紙

 朝になったら破り捨てる、そんな気持ちで書く手紙、自分の心を確かめる、それだけのために書く手紙、出てくる言葉はひとつずつ、ぽつりぽつりと心の音が、点と線とで踊る文字、指先に伝わる感触、時折の紙の香り、染み込んでゆくインク、少し書いては顔を上げ、顔を上げては考えて、伝えるつもりのないものを、置き去るように書く手紙、いつになっても言葉とは、仲良くなれない言葉とは、ただそれだけを確かめて、いつまで経っても伝わらぬ、そんなことへの言い訳を、確かめるために書く手紙。

 ゴミ箱の中にたまる想い、叶わなかった願い、くしゃくしゃに丸めて捨てた心、次から次へと丸くなり、ふわふわになって重なって、次から次へとこぼれゆき、結局は破れない手紙、丸めて投げて捨てた気で、重なってゆく綺麗なゴミ、捨てたのだから、それはゴミ、いらないのだから、それはゴミ、そんなものいらない、そんなものいらない、どんなにそれが綺麗でも、叶わぬ気持ちはもういらない。
posted by 成瀬隆範 at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月19日

忘れていても

 淡い桜の嘴は、真っ赤に染まってしまえばもう、二度と元には戻ることがない。

 饒舌は心を隠し、媚びは寂しさを和らげる。上手くなった作り笑いは、鏡には決して映らない。求められている刹那だから、唇を仮面で覆う笑み。瞳に宿るのは輝きではない、そこに宿るのは、何もかもを吸い込んでしまう闇。

 光を中に映し出す闇。光は闇の中には無く、外側から映り込んでいるだけ。光を反射しているだけ。光が宿ることはなく、ただ映し出しているだけ。きらきら、きらきら、煌めいているように錯覚するだけ。真っ黒な涙。真っ黒な涙の固まり、それが瞳。

 ルージュはどんどん深く赤く、薄桜の頃はとうに昔。全てを忘れるため、そんな乾いたアルコール、濡れた瞳を乾かすため、だから重ねる唇。

 真っ赤に染まった唇。グラスの縁を彩るルージュ、細い指先でなぞる癖、透き通ったグラスに花を、真っ赤なルージュという花を、綺麗なガラスに真っ赤な花を、透き通ったそのアルコールの向こうに。

 薄桜は忘れていたい。そんな時代はとっくに昔だから。今ではそんな薄桜、おかしな色ねと鞄の底に、いつまでも。いつまでも。忘れたつもりで鞄の底に。

 忘れていても、鞄の底に。



(中島みゆき "ルージュ" 『おかえりなさい』1979年)
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2005年06月14日

裏路地

 黒い吹きだまり。風が通り抜けない、路地。

 粉っぽいガラス窓から見下ろす、そんな澱んだ吹きだまり、つらいことがあると君は、そんな行き止まりに逃げ込んで、見上げる空、切り取られた雲、灰色の壁に挟まれた、ちっとも広くならない空間、いつまでもじめじめとした道、濡れたアスファルト、真四角に灯る黄色い窓、触れ合う金属の音、人の話し声、まるでどこか遠くの方に、影が動く、影が動く、黙り込んだ箱の中で、ゆらゆらと躍動する人影、そんな曇った映像を、冷たい壁に掌を、コンクリートに耳をつけ、伝わってくる水の音、身体の中の温かさ、血に溶け込んだアルコール、意図的に狂わせた心、ごまかされた涙、苦しくなんかない、苦しくなんかないんだ、こうやって嘔吐していれば、辛いのは心じゃなくて、そうじゃなくて、辛いのは、辛いのは自分の肉体、心じゃないんだ、そうやって、自分の心だけは、たったひとつ守るべきもの、心だけは、黒い吹きだまりの中で、風の止まった裏路地で。
posted by 成瀬隆範 at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月25日

コインランドリー

 いつまでも馬鹿みたいに、ただ回り続ける色とりどりの、丸窓の中の洗濯物、万華鏡のように、ひとつとして同じ形にならない、ぐるぐると、ぐるぐると、低くうなる機械の音、なぜか黄色く細い太陽の光、澱んでいる空間、止まってしまった時間、この街の生活のように、いつまでも変わらない動き、いつまでも前に進まない、ぐるぐると回る洗濯物、回れば回るほど、きれいになる洗濯物、繰り返せば繰り返すほど、汚れを振り落とす洗濯物、ぐるっと周りを囲む丸窓、小さな四角い部屋、主のいないベンチ、薬の乾いた匂い、古ぼけた空気、疲れたような人のため息、読み捨てられた雑誌、生きていれば、汚れていくのが当たり前、それでも、その汚れを受け入れきれない人間の、ぐるぐると回る生活への疲れ、汚れ、あきらめ、丸窓の中では、きれいになってゆく洗濯物、丸窓のなかでは、汚れが落ちてゆく洗濯物、ぐるぐると、ぐるぐると、丸窓の中に入れない生活は、ぐるぐると、ぐるぐると、汚れを塗り重ね、疲れを積み重ね、丸窓の外では、ぐるぐると、ぐるぐると、いつまでも、きれいにはならない生活の汚れ。
posted by 成瀬隆範 at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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