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2009年11月13日

A大使館にて

今日は、某大使館の関係の仕事をしてきました。

戦争捕虜が制作した工芸品展示の手伝い。

そん中、ひとりの男性が来館。展示されている資料のキャプションに関して、クレームを入れてきたのです。

「なんで、こんなにこのキャプションのドイツ語は間違っているのか」と。

本気で怒っていました。唇が震えていました。でも、自分が直感的に分かったことがあります。それは、彼が、ドイツ語を、真剣に愛しているのだ、と、いうこと。

それはたかが、単数系/複数形の間違いだったり、"n" が "m" になっていたりという間違いだったりします。ふつうのひとだったら、適当に、見逃してしまうくらいの。

それでも、この日本に居て、その中でドイツ語のアイデンティティを保ち続けようとしている「先生」の、ドイツ語への愛情に、私はただ、圧倒されるばかりでした。

自分が今の職業をやっていて、一番違和感を感じること。それは、一般的には私が、「英語の先生」と、見なされることなのです。

私は、日本人だし、日本語を愛しています。日本語に比べると、英語は非常にリズム感に優れた言語ではありますが、深みに欠けています。優しさもありません。その意味では、同じアルファベット圏の言葉としては、日本語と共通する優しさを兼ね備えている、ポルトガル語が好きだったりします。

そんな自分が、英語を教えていながら、英語に対してまるで愛着も無いし、日本の国土に居ながらにして英語をぺらぺらしゃべることでステータスを保とうとする人たちを嫌悪しながら生きている自分に対して違和感を感じているその感情を、彼は、今更ながら痛感させてくれました。

いったい私は彼のように、日本語に対して真剣に怒ることが、できているのだろうか、と。

正直、うらやましく感じました。彼の思いを。

そして、その彼の感情を、適当に受け流してごまかそうとした大使館員の態度には、嫌悪感すら感じたのです。

大使館員という職業。それを考えれば、ドイツ語の間違いに本気で怒るよりは、なあなあですますことで、展示期間を波風立たずににこなすことが、大切なことだったのでしょう。それも一応、筋の通った考え方なのです。

しかし、自分の個人的な感情としては、明らかに、断言できます。

"So What?(それがいったいなんだってんだ?)"と言って肩をすくめた大使館員より、私は、小さなミスにこだわろうとした、その「先生」の、ドイツ語に対する愛情が好きです。

上辺を取り繕うよりも、自分の思いを素直に出してきた、あの老人のまっすぐな目。彼は、自分が大学時代に見た、ドイツ哲学を真剣に愛し、いつも少年のように目を輝かせながらドイツ哲学についての話を重ねていた先生の、真剣に何かを愛してしまっていた人特有の目を持っていました。

"Honesty" は、あの人の目の中に、存在しているみたいです。あまりみかけないからこそ、どうしてもほしくなってしまう、あの "Honesty" が。
posted by 成瀬隆範 at 16:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

志ん生 替わり目



粋だなァ…。
posted by 成瀬隆範 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月28日

酒を飲んでいたから、俺は

「酒を飲まない理由など大してありはしないが、酒を飲む理由には、事欠かない」

こんな下らないフレーズ、一年のうちに、何度も使うべきではないのだが。

仕事を終えて家に帰ってきた自分を待ち受けていたのは、うまくいっていないの、という、ある女からの素っ気ない、携帯電話へのメールだった。

ただ単に、肩をすくめる他なかった。それは、もう、わかっていたことだから。たぶん、今日よりも、ずっと前から。

喜びと幸せの笑みを満面に浮かべながら、新しい旅立ちの報告を聞いたのは、そんなに昔のことじゃない。そして、新しく歩いていこうとしている道の険しさと厳しさを直感的にわかってしまったのも。

あの時。

あのとき、自分は、言うべきだったのだろうか。喜びに水を差すことがわかっていても。

過去へは戻れない。たとえ戻れたとしても、自分がその険しさを口に出したとしても、あの女は、そのまま先に進むことしか、考えなかったはずだ。だからこそ、言うべきでないと判断して、私は、喜びを共有しながら、あの女を送り出していたはずだったのに。

とりあえず、自分にできそうなことは、大してありはしない。したり顔でなにかが語れるような立場ではないし、だからといって、単に放置しておくことができるような、無責任でもいられない。

だから、とりあえず、酒を飲むことにした。

こいつは実に良い口実なんだ。酒を飲んでいたから、俺は、あいつのメールに、すぐには気づくことができなかったんだよ。
posted by 成瀬隆範 at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月06日

春を待つとまどい 3

前回の続き)

私は片眉を上げる。言葉はすぐには、出てこない。

私の目の前においてあるのは、ラフロイグをウィルキンソンの辛口ジンジャーエールでほんの少しだけ割ったものである。今は真剣に向き合うより、気軽に時間を過ごしたかった。だから、普段はほとんどしない飲み方を選んだ。

琥珀色の液体の中で、大きな氷がひとつ、琥珀色を艶めいて溶かしながら浮いている。彼の手の中のブラックブッシュで煌めいているような氷の色彩は、今、自分の目の前にはない。自分の目の前にあるのは、むしろ、琥珀色の年月を溶かし切ってしまったような、円熟した深さの固まりだ。

よく、遊んだものだ。こいつとは。

まるで子供のように、色々なところへ行って、色々なことを経験して、つまらない理由で喧嘩したり、くだらない冗談で溝を埋めてみたりした。

昔から、未来を計算する、などろいう器用なことができるタチではなかった。そのくせ、安定した未来を得やすい会社に就職し、自分と周囲との考え方のギャップを消化しきれずに、いつだって悩んでいる。どうしても未来を見てしまう自分が、未来を見るにはあまりにも不安定な職業を選び、しかし悩みも苦しみも殆どなく仕事をしているのだから、皮肉なものである。

だからこそ彼は、煌めきを掌の中に掴んでいる。私は円熟した深さを目の前に、それを掴みかねている。1年前、結婚によって彼は、自分自身の未来とパートナーとの未来を重ね合わせた。そして1年後、彼は自分自身が他人の未来を創り出していたことを強烈に自覚した。煌めきはもう、子供に与えてやらなければいけないものなのである。

喜びを噛み締めるとともに、彼が覚悟を抱きとめるために、今日酒を飲みにきていたことを、私は知った。たぶんこれは、男の本能に近い、非常に動物的な感覚なのである。子供ができた喜び以上に、自分が守るべき者達を守っていかなければいけないということを、強く自覚し、受け入れるということは。

例えば自分なら、さっき買ったばかりの安いミュールをレストランで取り出して、瞳をきらきらさせながら嬉しそうに眺めている、そんな女の瞳の煌めきが愛おしいと思えば、その輝きを守るためには、何でもする気になるだろう。だがそれは、彼が新しい生命の創造に関わったということに比べれば、あまりにも軽く、お手軽なものなのである。

世の中はいつだって不安定で、安心して生きていくことなんて、できるものではない。でも、未来を見ることが苦手な彼は、もう、未来を直視することができるだろう。そして一歩を踏み出すために、自らの子供に楽しげな煌めきを与えることを決意するために、彼にはこの空間が必要だったのである。

「昔に戻れば良いと、思うこともあるのだろうが……」

私は目の隅で、彼がグラスの傾けるのを捉えていた。氷がグラスと触れ合って、美しい音を立て、BGM にひとつの音階を滑り込ませた。

ジャズはまだ流れていた。彼のリクエストした曲が。一見不器用だが、盛りだくさんで、どんどんがんばって前に進んでいくような、そんな楽しげなジャズ・メッセンジャーズの組曲が。

無骨なグラスからは琥珀色が消え、一点の曇りもない、透明な煌めきを放つ氷だけが後に残った。煌めきは、もはや彼自身が飲み干すことはできないものだったのである。

(終)
posted by 成瀬隆範 at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月05日

春を待つとまどい 2

前回の続き)

そこは洋酒専門店を銘打った、洋酒バーである。照明を落とした店内はバックバーに琥珀色が溢れ、ジャズのレコードやCDが奏でる音が店内を満たし、ほぼカウンターのみの狭い店内は、不思議な春の温かさにしっとりと包み込まれている。

無骨だが豊かな木の曲線と緩やかな木目がそのまま活かされたカウンターに私と友人は席を取っていた。時折マスターが酒を作っている姿を、そのまま鑑賞できる位置である。

バーにも色々なスタイルがあるが、職人性と芸術性の融合、伝統的感覚と若々しい感覚の融合が高度になされているという点において、このバーは他のバーに比べ、群を抜いた魅力を備えている。そして何よりも素晴らしいのが、マスターの人柄である。高度な技術とこだわりを備えていながら、一切それを誇ることなく、いつもやわらかな笑顔と温かさで接客を行っているのだ。

このバーは自分で開拓したのではなく、他の店のバーテンダーから紹介を受けたものである。本当は誰にも教えたくないのですが、と前置きをしつつ、惜しげもなく教えてくれた彼は、やはり私と同年代であり、将来は吉祥寺に店を持つことを夢見ている。とある鞄屋の店鋪の店構えをやけに気に入り、店を持つならあそこかな、それじゃ俺は鞄屋が繁盛して別の大きい店鋪に移ることを祈っとこうか、などと冗談を言い合ったりもする。

本当は教えたくない、の持つ大きな価値を、私はわかっているつもりだった。そして紹介を受け、実際に店鋪に足を運んでみて、私も思ったのだ。

ここは本当に大切な人にしか、教えたくない店だ、と。

その日連れてきたのは、高校時代からの友人だった。無骨で不器用で、それでも、とても真っすぐな人間である。賢く振る舞うことはできないが、結果的には自分自身にとって正しい道を選択して歩くことができ、私とはある意味正反対の個性を持っていながらも、腹を割って話をすることのできる、大切な友人なのである。

彼は、アイリッシュ・ウィスキーを好んで飲む。私はモルトをストレートで飲むことが多いが、ストレートは、彼のスタイルではない。ストレートは、あまりにも真剣で真面目すぎる。彼はウィスキーをそのように鑑賞するには、あまりにもロマンチストなのである。ロックで注文をし、ずんぐりとしたグラスの中を彩る氷の煌めきを掌に抱えながら時間を過ごすのが、彼に一番相応しいやり方なのだ。

「なんだか懐かしいんだよな……」

呟き。

私はそれに、頷きを返す。時を経た、丸みを持った温かさ。この空間はあまりにも快適で、時間を確認する、などという考え方すらなくなってしまう。腕時計は、この場所ではただの邪魔者なのだ。

「実は、今日会いたいと思っていたのはさ……」

彼の心の壁は、この空間と、好きな酒によって、だいぶ溶けてきたようである。

「子供、が、できた、らしいんだよ。俺に。」

次回に続く
posted by 成瀬隆範 at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月04日

春を待つとまどい 1

「お前なら、きっと気に入ると思っていた」

アイリッシュ・ウィスキーの温かさに身体を包まれながら、くつろぎ微笑んでいる友人を隣に、私はバーテンダーの位置を気にしながら、囁いた。

「今俺がお前に送ることのできる、これがたぶん最高のものだ」

友人は頷く。言うまでもないことをあらためて口に出してしまった気恥ずかしさを感じながら、私はラフロイグを口にした。非常に珍しいことである。Ardbeg の置いてある店で、ラフロイグを頼むことは。

初めての結婚記念日を祝ったメールをきっかけに、その日私は、友人を誘い出していた。

友人は私がこれまでに数えきれないほどのバーを巡っていることを知っている。だから、彼と会うときは、たいてい私が店の候補を提案することになる。

その日もいくつか候補を挙げた上で彼に選んでもらった。携帯メールの送信履歴には、以下のような文章が残った。

A) 件の行きつけの店へ連れて行く。こないだの店の上だ。
B) お前なら絶対気に入るはずのバーがある。マスターは恐らく俺らと同年代。数々行ったバーの中でも、最高水準の素晴らしさ。
C) ラム専門のバーに案内する。
D) ゴールデン街で1軒開拓し、1軒紹介を受けている。君好みではないかもしれないが、興味深い同所の足がかりにはなるかも。

私は彼が B を選ぶであろうことを確信して、送信ボタンを押した。そして彼は、B を選んだ。そして今、私たち2人は双方好みのウィスキーを目の前に、懐かしいジャズを聴きながら、既に長い時間を過ごしていた。

(次回に続く)
posted by 成瀬隆範 at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月03日

面影はポート・エレンに 5

前回の続き)

私は、滅多に何かをほめることはない。それは、自分の心をつかんで離さないほどの大きな価値を持つものが、なかなか見出せないからである。しかし、私は、自分がそのような価値を見出したと自覚した時には、包み隠さず、その気持ちを表すことにしている。

好きだ、とても素晴らしい、と。

そういった意味では、私は、Ardbeg Very Young と、Ardbeg 17年が好きである。いや、その個性を、愛しているといってもいいくらいである。Ardbeg Very Young はその激しさと荒々しさと、持っている力の強大さ故に。そして、Ardbeg 17年は、その洗練された美しさと、そのように美しくなるまでに経てきた、大いなる年月を連想させるが故に。

ウィスキーの1滴を作るために、どれだけの歴史と労力がそこに費やされているか、私は、公表されている知識としてしか把握してはいない。しかし、いわゆるエネルギー保存の法則を越えて、単なる大麦の化学反応液が、Ardbeg Very Young や Ardbeg 17年として私の心を捉えて離さず、そこに大きな価値を生み出すのであれば、私にとってウィスキーとは、酒とは、それはただ単にスノッブ的な価値感を越えた存在となるのである。

私は、未だに Ardbeg TEN を飲むと、心が躍る。その4年前に通り過ぎたはずの、隠しきれないほどの、強烈さと、力の強大さを感じて。そして、7年後に落ち着くはずの、豊かな経験を元にした、洗練された美しさを感じて。

面影は、ポート・エレンに。もう二度と、会えないわけではないのだと、そう思いながら、私はまたバーを巡ることになる。

(終)
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2008年03月01日

面影はポート・エレンに 4

前回の続き)


それは、Ardbeg 17年という名の、最高に美しく、そして、もう二度と会えないかもしれないシングルモルトの面影だった。

Ardbeg は、個性がはっきりしているシングルモルトウィスキーの中でも、更に強烈な個性を持ったウィスキーをつくり出すアイラ島の蒸留所で作られたシングルモルトである。そして、そのアイラ島のシングルモルトの中でも、特に個性的で強烈なモルトであるといって、間違いないであろう。

その個性は、非常に強烈な煙臭さ(スモーキーさ)にある。ウィスキーの原料である大麦麦芽を乾燥させる際の燃料である泥炭がウィスキーの香り付けと個性にかなり大きな役割を果たしているのだが、この泥炭の香りが Ardbeg は特に強く、豊かなのである。換言すれば、それはとてもキツく、臭いとも言えるのではあるが。

普通、見かけるのは、Ardbeg TEN(10年)である。一番の見慣れているのも、これだ。しかし、私が最も好んでいるのは、Ardbeg Very Young(6年)と、Ardbeg 17年だ。この2つのモルトは、ほぼ全く違った個性を持ち、それ故に、私を強く惹き付けるのである。

最初に飲んで一番衝撃を受けたのは、Ardbeg Very Young である。まだ6年しか熟成を経ておらず、非常に荒々しく、口に含むだけで、まるで京劇役者の剣舞のように、強烈な勢いで舌を攻めてくる。痛いほどの刺激の中で、しかし、その刺すような痛さののひとつひとつに、単なる荒々しさとは異なった、蓄積された力を感じるのである。まるで久方ぶりに好敵手を得たような、そんな高揚感を伴って鑑賞できるモルトなのである。

それに対して、ポート・エレンに面影を見た Ardbeg 17年は、極度に洗練されており、非常に「美しい」。どんなに辛い体験をしても、苦しんでいても、それを自分の中で消化し、受け入れ、表にははっきりと出さないでいるようでいて、内面の奥深さを予感させてしまうような、謙虚さがある。

私が「女性として」惚れてしまった美しさとは、それだ。たとえ内面はどんなに奥深くどろどろしていたとしても、それを感じさせないような、洗練された立ち振る舞い。それでいて、その奥深さを全く隠してしまうのではなく、危うさや、妖しさや、悲しさを予感させるような、ちょっとした仕草。私は、Ardbeg 17年を飲んだ時、それが、自分が女性に対していつも求めていた価値であることを、強烈に自覚せざるを得なかったのである。

酒は嗜好品である。だから、ひとつひとつの酒の間には、本来優劣など存在しない。存在するのは、ひとつひとつの酒の個性であり、その個性を自分が好きでいられるかという、たったそれだけのことである。

私は、Ardbeg 17年により、自分の理想とも思える女性像を、目の前に突きつけられたのである。そして残念なことに、もはや Ardbeg 17年を、普通のバーで見かけることはない。もはや殆ど、市場に流通していないと思われるのである。そして……それを人として、捉えた時にも。

しかし、その面影がまさに、友人の結婚記念日に迷い込んだバーで偶然飲んだ、ポート・エレンに映り込んでいたのだ。

次回へ続く
posted by 成瀬隆範 at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月28日

面影はポート・エレンに 3

前回の続き

私は目を丸くし、いいんですか、と、思わず聞いた。いいんです、と、答えが返ってくる。

一度注がれたものに対しての遠慮は無用である。まさか、元の瓶に戻すわけにもいかないのだから。私は、有り難く頂戴することにしたのである。

それが、初めてのポート・エレンだった。もう2年も前の話である。それ以来、たくさんのバーに行ったが、ポート・エレンを見かけたことはなかった。もっとも、私は全ての酒を知っているわけでもないのだから、当然見落としもあるだろうし、バックバーの2列目以降に入っていたとしたら、それはもう見えはしないのだ。

ともあれ、一番上の棚にあるのは、紛れもなくポート・エレンである。普通に飲もうとしたら、ワンショット数千円は平気でとられてしまうシロモノである。ところが、その日は、ワンコイン割引を実施している記念日。気になる酒はありますか、と問われた私は、狡猾にもそんな計算をしながら、言ってみた。

「ポート・エレンが気になりますね」

さすがにワンコインとはいきませんが、と、バーテンダーは、少し笑って前置いた。

「通常の半額で提供いたします」

Port Ellen 27年。ドイツでのウィスキーフェアでの特別記念ボトルらしい。既にキャプテン・モルガンを賞味し終えていた私は、ためらうことなく、ポート・エレンを頼んだ。

透明なチューリップの花びらの中に、琥珀色が注がれた。チューリップの花弁が蜜を守っているように、透明に煌めきながら、半球形に揺れているポート・エレンを包み込んでいる。

チェイサーを少し口に含む。キャプテン・モルガンの甘さは消える。マリーの記憶も洗い流される。新しい人を、迎え入れる準備をする、というわけだ。

ポート・エレン。私は少し息をのむようにして、モルトグラスを傾けた。

少し口に含む。香りが鼻に抜ける。煙の向こうに浮かぶ、熟成した豊かさ。敢えて自己主張をするまでもなく、内に秘められた才能が自然と色となってにじみ出てくるような、適度に抑制された力強さ。

脳裏に面影が浮かんだ。出会った初めて、それが最高に美しいと思ってしまった、ずいぶん昔にたった1回見ただけの、そんな「最高の女性」が。

次回へ続く
posted by 成瀬隆範 at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月24日

面影はポート・エレンに 2

前回の続き

目は、カウンターの中を追う。1杯目の酒は、2杯目を探すための時間稼ぎのようなものだ。バーには時間を過ごすために来る。急ぐ必要は全くない。じっくりと探せばよい。そうでなければ、たいていは向こうから、何か薦めてくれるものだ。

ふと、バックバーの一番上の棚に目が止まる。一番上、ということは、それほど使う頻度の高い酒ではないだろう。そして、使用頻度の高さは、価格とは比例しないものなのだ。トリニティ、ビッグスモーク、そして、ポート・エレン。

ポート・エレン。今まで1回しか飲んだことがないし、この先、飲む機会があるかどうかなんて、全く未知数の酒だ。なにせ、1983年に操業停止をしている蒸留所だ。今から25年前。

最初にこの酒を飲んだのは、池袋のとある店だった。バーというよりは、若者向けの小洒落たダイニングバーに、それはあった。カウンターで酒を飲み、食事をしていると、チーフの料理人が話しかけてきた。

池袋も、相当バーを巡った。そんな話をしながら、一番好きなのがアイラモルトであることを、ふと明かすこととなった。料理人はそれを聞くと、カウンター奥の調理場に乱立する瓶の中から、おもむろにひとつの瓶を取り出してきた。

それが、ポート・エレンだった。たぶんボトラーズものだったと思うが、詳しくは覚えていない。瓶の底の方に、ほんの1杯分に満たないほど残っている、琥珀色の液体。

飲みますか、と、聞いてくる。飲みたくないわけがない。滅多に見かけない。初めての体験だ。私は、覚悟を決めた。ポート・エレン。今日は、2軒目はないな、と。

モルトグラスが目の前に置かれ、ポート・エレンが、瓶の中から注がれた。

全て。

瓶の中は、空になっていた。

次回へ続く
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2008年02月23日

面影はポート・エレンに 1

昨年の今頃は、親しい友人の結婚式だったことを思い出した。とりあえずメールを送り、祝いの気持ちを伝える。試行錯誤しながらの共同生活を慮り、近いうちに飲もうと誘う。

なんとなく気持ちの定まらないまま、ふらっと降りた駅の近くで、1軒のバーに入った。よく行く駅ではあるのだが、範囲が広過ぎて、1軒1軒しらみつぶしにめぐっていても、まだまだ行ったことのない店がどんどん出てくる。そんな街。

前から目をつけていたバーだ。時間と金が無制限にはないから、なかなか行こうと思っていても行けなかった店。気持ちが定まっていなかったからこそ、財布の紐も緩む。看板に目を止め、行こうと思っていたことを思い出し、階段を下りて、扉を開けてみた。

琥珀色の店内。ただし、決して暗くはない。琥珀の中に光を透かしたときの、石の中で煌めく橙色。カウンターの奥には、ハードリカーの瓶が立ち並ぶ。ひとつひとつの瓶は全く異なった個性を持っていながら、まるで幾何学模様のように、透明感のある輝きを放つ。繊細で壊れそうなカクテル・グラスとのコントラスト。シェーカーの銀の輝き。くるくると回るバースプーンの、まるで終わりのない円運動。

偶然にも、同店は6周年で、ワンコインでたいていの酒を給するとのこと。普段はあるはずのハイスツールは全て片付けられ、スタンディングで酒を飲む。キャッシュ・オン・デリバリー。実に合理的で後腐れがなく、私の好きなスタイルだ。

1杯目を少し迷ったが、キャプテン・モルガンを頼むことにした。友人の結婚記念日に当てられたらしい。いくらハリーを気取ってみても、マリーは探せるわけではない。

目の前に出されたのは、背の高いキャプテン・モルガンではなく、背の低いプライベート・ストックだった。思わず声に出る。

「プライベート・ストックが、ワンコインとは、素晴らしい」

酒には、何も混ぜないのが性に合っている。氷ですらも。だから、たいていはチューリップの中の琥珀色の液体を、少しずつ減らしていく作業に徹することになる。

考え事をするには、ちょうどいい飲み方だ。喉を鳴らしていては、頭の中に、余計な音が反響してしまう。喉を鳴らすのではなく、まるで自分の口の中に最初から存在するように、琥珀色は少しずつ、自分と一体化していくのである。

次回へ続く
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2007年12月07日

Who's What A Girl? 3

前回からの続き)

秩父 8年。もちろん、知っているはずが無い。私は国産ウィスキーには特に疎く、かといって、その他のウィスキーに詳しいわけでもない。ただ Ardbeg を好きになってしまったから、Ardbeg を中心に飲んできただけであり、その他のウィスキーももちろん飲んだことはあるが、それはただ単に気が向いたからに過ぎない。

私は元来、知識を重要視しない方だ。知識はただのデータであり、データはそれを活かす発想力や感性があって、初めて価値を持つものだ。特に、知識(データ)がインターネットという形で、既に「外部記憶化」してしまっている今の時代となっては、ただ単に「知っている」ことは、大して意味をなさないのだ。

さて秩父 8年。飲んでみて、ふーんなるほど、と思った。ただ、ふーんなるほど、な味であって、自分にとっては、Ardbeg が好きになったような惚れ方をするようなものではなかったのは事実だ。

メニューを見て、確認する。秩父 8年。ニッカでもサントリーでもなかった。東亜酒造。もちろん、自分は知らない酒造会社である。

もう1杯、マスターのお見立てで頼んでみた。

「Ichiro 2000 です。」


Ichiro。イチロー。先ほどメニューを見た時に、東亜酒造の下にリストアップされていたものだった。まさか、メジャーリーグで活躍しているイチローでもないだろうが……などと、思いながら一口飲んでみた。

……見つけた、なんと、2杯目で。

Ardbeg Very Young をもっと抑え気味にしたような感じ。Ardbeg Very Young が京劇の剣舞なら、Ichiro 2000 は、八相に構えた剣豪だろう。物静かに見えて、十分こちらを攻めてくる。

Ichiro は、東亜酒造がなくなる際に廃棄されるはずだった樽詰めのウィスキー原酒を保管しておいて、後年ベンチャーウィスキー社を立ち上げてから商品化したらしい。Ichiro の名は、東亜酒造から独立する形で会社を立ち上げた創業者の名前とのこと。

原始時代ならいざ知らず、現代では、酒の裏には必ず「人」がいる。ものが溢れ過ぎているこの世の中で、「見つけた」と思える瞬間を体験できるのは、非常に大切なことなのだ。

だから、その裏で、自分にとって「大切だ」と思えるものを作り出した人達には、感謝をしなければならない。

「大切だ」と、思えるもの。私はその翌日には、一時的かもしれないとはいえ数日の後に消えようとしている、自分にとっての大切な場所へ、是非もう一度行ってみようと思っていた。
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2007年12月04日

Who's What A Girl? 3

前回からの続き)

そのバーは国産ウィスキーの専門店であると同時に、映画バーでもある。その街自体は私が何ブロックにも渡ってバーを探し歩いたおなじみの街であったが、まだまだ開拓しきれないほどに広く、しかも、そこは私が全く手をつけていなかったブロックで、そんな場所にバーがあるなどとは、正直思ってもいなかった場所であった。

大きなスクリーンには、白黒映画が映し出されている。そして棚を埋め尽くす瓶の数々。普通のバーと違うのが、それが殆ど国産のウィスキーであるということ。つまりは、全体的に琥珀色の色彩がバーを支配しているわけだ。

席に通され、メニューを見る。信じられないほどに、国産ウィスキーの数が多い。日本国内でウィスキーを作っている会社が、サントリーとニッカの双璧だけではないことに気付かされる。


メニューを見たのは、あくまで価格帯を確認するため。実際に注文する時には、マスターの見立てて選んでもらうつもりだった。だから、Ardbeg TEN と同じ価格帯で、同じような個性を持ったものはないかと聞いてみた。

これがかなり難しい質問であることは、私も承知の上だ。スコットランドの中でも、Ardbeg を生産しているアイラ島出身のウィスキーは、特に強い個性を持つことで知られている。Ardbeg はその中でも特に強烈で深い個性をもったモルトであり、Ardbeg と並び立つことの出来るモルトは、ほぼ無いと言ってよい。強いて言うならば、同じアイラ島の Laphroaig。それから、Talisker くらいであろうか。

アイラはアイラでしか対抗できない、と、マスターは言う。当たり前だ。承知の上で聞いている。総じて国産ウィスキーが(少なくとも、ニッカとサントリーに関しては)、アイラ島に感じられるような強烈な個性ではなく、嫌みの無くすっきりした味わいを楽しむタイプのものだということはわかっているつもりだった。


それでも敢えて聞いてみたのは、どうしても、自分の国で、自分の好きなタイプのウィスキーが作られているかどうかを、確認したかったからだ。私は言った。Ardbeg の好きな私でも、ラムで好きなものがちゃんとある。全く同じ個性を求めたりはしていない。濃厚で味わい深いものを選んでくれれば、それでよい、と。

マスターは即答した。

それなら、秩父の8年をお出しします、と。

次回に続く)
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2007年12月03日

Who's What A Girl? 1

何のために酒を飲むか、という問いに対しては、色々な人が色々な答え方をするだろう。酔っぱらうために飲む人もいるし、仲間との時間を作るために飲む人もいる。それがどのようなものであれ、その全てが実に真っ当な理由であり、誰もその答えを訂正するような無粋なことは出来ないはずだ。

そして私が「何故酒を飲むのか」と問われるなら、私の場合は、「人間の感性の素晴らしさを体験するために」とまずは答えることに、なるだろう。

ひとくちに「酒」といっても様々な「酒」が存在し、それは無数に分類することが出来るだろう。製造法による分類(醸造酒、蒸留酒など)、原料による分類(ブランデー、ウィスキーなど)、土地による分類(国産、スコッチ、バーボンなど)……。バーの棚を見るだけでも、その瓶の並べ方はそれぞれのバーがそれぞれ自分の店の方針に合致した並べ方をしているわけで、それはまさにこれまた無数に存在するバーの個性ともなるものである。

自分は、この世の中に「たったひとつの正しいもの」が存在する、とは思っていない。もし何かが正しいものに見えるのだとしたら、それは「その時その場にもっともふさわしい、正しい選択肢ひとつ」に過ぎないのであり、「たったひとつの正しいもの」がいつまで経っても変わらずに保ち続けられるということは、ありえない。

だから私は様々なバーを訪れる。そして、様々な個性を探し続ける。そして様々な個性、つまり、バーと酒を体験し、自分に最も相応しいものを絞り込んできたのである。

そのひとつの結果が、Ardbeg。私はわりと早い段階でこのモルトと出会い、1回で気に入ってしまった。かなり強烈で好き嫌いがはっきりと別れるモルトであるが、様々な理由で、自分には一番相応しいモルトだと思っている。


このモルトと出会ってからしばらくは、Ardbeg ばかり飲んでいた。もちろん、オフィシャルのものだけでなく、ボトラーズもかなり飲んだ。ひとつひとつ数えるのも馬鹿馬鹿しいので正確な数は覚えてはいないが、Ardbeg だけで20種以上は飲んでいるはずである。


もちろん、一番出回っているのは Ardbeg TEN なので、Ardbeg TEN を飲む機会が多い。今ではそれに慣れてしまっているが、実は一番衝撃的で、一番好きなのは、Ardbeg Very Young(6年)と、Ardbeg 17。両方とも、現在は殆ど流通しておらず、置いてあるバー自体が殆どないはずだ。特に17年は、もう2度と飲めないかもしれない、と思わせるほどに見かけない。

Ardbeg Very Young と Ardbeg 17 では、同じオフィシャルの Ardbeg とはいえ、あまりにも個性が違っている。

Ardbeg Very Young は、"Very Young" という名前の通り、荒々しく苛烈に攻めてくる。しかしそれはただ単に荒々しく粗野だというわけではなく、まるで京劇の役者が剣舞を踊るような、伝統と経験に基づいた重みが既に備わっているものである。ただ単に若いというだけではなく、これから先の将来に備わってくるはずの重みが十分に予想され、飲んでいるこちらも、高揚感と期待感に満たされて行くのである。

そして、Ardbeg 17。17 とはもちろん17年熟成のことであるから、こちらは Ardbeg Very Young の11年後に当たるわけだ。苛烈だった Ardbeg Very Young は、11年を経た後には、ローマで休日を過ごした後のアン王女のように、驚くほど静かで、しかも美しく熟成している。私にとっては Ardbeg は男性ではなく、女性であるから(これは初めて Ardbeg TEN を飲んだときから持ち続けている印象である)、そういう意味では、私の理想は Ardbeg 17 なのだ。

さて。ここからが、本題だ。

私は日本人だが、Ardbeg はスコットランドで育った。私は既に Ardbeg を愛してしまっているのだが、その違和感は、ずっと感じ続けていた。そこで私は、あるバーのバーテンダーが教えてくれた情報を元に、国産ウィスキーをメインに提供しているバーに、先日行ってきたのである。

次回へ続く
posted by 成瀬隆範 at 12:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月01日

It's Been A Long Day And I'm Thirsty



Captain Morgan を飲んでみた。これは自分にとっての Ballantine's になるな、と思った。Ballantine's が好みなのは、おそらく原酒に Ardbeg が使用されているからだろうが、Captain Morgan を飲む気になったのは、いつまでも To Have And Have Not が、自分の心の中に残り続けており、そして、これからもそれは残り続けるであろうことが分かっているからだ。



実は、初めて Captain Morgan を飲んだのは、1年前の夏。しかも、Private Stock。



非常に甘いラムだったが、濃厚な飲み口が好きな私は、けっこう気に入った。しかし、こいつは Private Stock だから、どこにでも置いてあるわけではない。



そして、ちょうど一年前くらいに飲んだのが、Ron Zacapa の XO。とあるラム専門バーの開店記念日にて格安で飲ませてもらった。これも、自分好みのラム。ただ、おいそれと手を出せるようなシロモノではない。

こうしてみると、気になるのは Drambuie だ。



「役を離れた」クイーン・キンチ号の船長 Captain Morgan は、Drambuie がお好みだったらしい。どうやらスカイ島で生産されているということだ。

ところで、スカイ島といえば、Talisker。



なんのことはない。全て、つながっているだけだ

これで、自分の Rusty Nail のレシピは決まったようなものだ。

ただし。

今までで1回だけ、心の底から感動した Rusty Nail に出会ったことがある。それは吉祥寺のとある店で出された、オリジナルレシピのスモーキーな Rusty Nail である。目の前で作ってもらったにもかかわらず、こいつのレシピは、不明だった。仮に知っていたとしても、自分はあの店でこそ、また飲みたいと思っている。

飲みたければ、「樹」を探してみればよい。酒が本当に好きなのであれば、飲み歩いているうちに「樹」の場所は誰かに教えてもらえるはずだから。
posted by 成瀬隆範 at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月09日

【写真/画像提供】男の隠れ家 ONLine「古本の愉しみ」

雑誌「男の隠れ家」のブログ版である男の隠れ家 ONLineに、写真撮影(画像提供)で関わりましたので、告知させていただきます。ちょっとした縁があったので。まあ、わかる人はすぐにわかる縁ですが。

記事内で使用されている画像(古本)の写真(画像)データ化に協力しました。また、今後の記事で使用される写真も撮影しています。

ちなみに、記事を書いているのは私ではありません(元サラリーマンで、古本に関する随筆等で活動を行い、古本や情報関係の出版物もある人です)。古本に関連する記事内容ですね……。

筆者のブログはこちら。保険会社勤務の経験を活かしながら、新刊書及び古本に関する優れたデータベースを独自に提供しています。興味があれば是非。




……うむ。書き方が難しい。
posted by 成瀬隆範 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月17日

美大の小論文 参考作品更新。

だから空は泣く
 
 地球という球体のほんの小さな一部分から空を見上げると、空は包み込むように広く、たった一つの壮大な空気の層を遥か上方に積み上げている。圧倒的で、そして、たった一つの存在。
 空気の中に含まれる水蒸気は集合し、空のエキスを凝縮させる。それは液体となって滴り、私達はそれを雨と呼び、時にはそれを厭い、時にはそれを喜ぶ。
 そして、雨上がりの地面。
 空は今や一つではなくなった。見上げる空はたった一つだが、空は雨の中に自分の分身を投射し、雨上がりの地面の中に、無数の空を残している。無数の水たまりは天然の鏡となり、ひとつひとつ、全く別の空を映し出している。そしてその全てには、形や歪みという個性を与えられているのだ。
 空は今や、独りぼっちではなくなった。
 だからこそ、空は泣く。自分自身を、たった一人の孤独の存在としないために。

posted by 成瀬隆範 at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月14日



 道は歩かなければならないなどとは、誰が決めたというわけでもない。それでも人は、道を進んで行ってしまう。
 道は常に二方向へと誘導を行う。右か左か、前か後ろか。道の真ん中に立つだけで、人は進むべき方向を二通りに決定されてしまう。
 電柱の陰に座り込む。行き交う人混みの流れを傍観してみる。人は目の前の道を行き交い、止まることを知らない。ただそこに道があるというだけで、人は二通りに制限された選択肢を何の疑問もなく受け入れる。
 私はそれに、逆らってみたくなった。だからこうして道端にしゃがみこんで、外の人間が知ることのない真実を知ったような顔をして、人の波を観察し続けているのだ。
 しかし私もいずれ、この電柱の陰から立ち上がった時に、脅迫的な「二方向の選択」を突き付けられるのである。「道」というテリトリーに入り込んだ瞬間、どんな傍観者でも、二方向の魔力から抜け出せることはできないのだ。




2007年度多摩美一般入試課題。

道、ねぇ。いつの間にか誕生日を迎えたと思ったら、もう一週間経ってしまっている…。道は二方向に進めるけど、一方向にしか進めない時間がどんどん過ぎて行く。
posted by 成瀬隆範 at 09:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月02日

美大の小論文 参考作品更新。

実像

 電車の窓の向こうには、嫌なものを消し去ってくれる夜の鏡の世界が広がっている。
 天井の蛍光灯が青白く顔を照らし出す。真っ白な光が、全てのものを露にする。顔の染み、化粧の崩れ、目の下の隈……。昼間のうちを人間関係の渦の中でもみくちゃにされた疲労が、倦怠感となって私の表情を覆う。
 違う。私の顔は、こんなんじゃない。
 夜の街を映し出している窓の外を見る。ガタゴトというリズムと共に流れて行く壁や光の帯の手前に見出した私の顔。夜の闇はただのガラス窓を鏡に変え、窓の向こうに、もう一つの世界を作り出す。
 暗がりの中の私と向き合う私。鏡の闇の向こうでは、映して欲しくない私の顔は、夜の闇に修正をかけられ、私の望む表情だけを映し出す。
 私もまだ、捨てたもんじゃない。
 夜の電車の窓ガラス。私の望みどおりの実像をくれる、闇の世界の温かい鏡。




今年度入試の多摩美前期課題です…。
posted by 成瀬隆範 at 14:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月31日

居場所(私の居場所)

美大の小論文 参考作品更新。

イーゼルの向こう

 イーゼルのこちら側。それが、私の居場所だ。
 凛と張り詰めた空気。空気を震わせるのは、紙をこする音。鉛筆が触れ合う、乾いた音。それだけ。私は微動だにせず、一定の時間、ただの人形であり続ける。動作、という、動物に許された最大の価値をかなぐり捨て、じっと無機物のようにあり続ける。
 私は、描かれている。イーゼルが、描く者と描かれる者との間に隔たりを作る。真白な空白を、画家は自分の想いで埋めていく。
 時には優しく。時には大胆に。イーゼルの向こう側の画家が変わる度に、違った私が記録されていく。炭素と紙。ただそれだけで、様々な私がそこに現れる。
 私はたった一人だが、残される私はたったひとつではない。様々な紙に、キャンバスに、残された様々な私がどこかで生きていく。
 イーゼルのこちら側。たった一人の私から、様々な私が巣立っていく。そんな私の居場所。
posted by 成瀬隆範 at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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