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2009年12月22日

candy-kc melts "miss g" remix

gusima nonono

1. no.no.no.
2. 9月の海
3. Candy(KC melts“miss.G”Remix)

先日DJ同士が隣で話していたのを小耳にはさんだ、candy-kc melts "miss g" remix。そういえば、そんなの持ってたよなー、と思って家を探したらやっぱりあった、具島直子のシングルCD、"No, No, No"。

やたらほしがってる人がいるみたいで、高値がついているみたいです。アマゾンで現在新品は6800円。…なんだかなー。

で、内容はどうかというと…。

「風(ふう)」の連鎖、という感じ。スクラッチ入ってて近年のR&B「風」、ソロピアノはジャズ「風」、Candy「風」ですら、あると思う。そういうところ、非常に「上手い」ですね。松尾KCの仕事内容をそのまま象徴しているんじゃないでしょうか?非常に日本人向きの仕事してます。刺が無いですね。「風(ふう)」で傷つく人は、誰もいませんから。

こりゃ、成功できるわけだ…。
posted by 成瀬隆範 at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月17日

ずっと探していた歌を

20年近くずっと探していて数年前にやっと見つけた歌、加藤和彦の「ハリーズバー」。その加藤和彦が亡くなったそうです。

自殺。

この曲の歌詞、20年間ずっと好きだったし、今でも好きです。これからもずっと好きでいられると思います。作詞は安井かずみ。別れの歌ですが、自分にとって、とても大切な言葉が、この歌には含まれています。


*歌は、1分半後にはじまります。

ふたりなら どこにいても 人生になる
ふたりなら なにをしても 人生になる

そういう「ふたり」になれることが、自分にとって、一番大切なことだったりします。
posted by 成瀬隆範 at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月15日

Jx "Son of a Gun"



2009.6 Fashion Show Setlist 1
posted by 成瀬隆範 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月18日

カサス

大橋純子の Wikipedia を見ていたら、いつの間にかそれが『火曜サスペンス劇場』につながり、Youtube で岩崎宏美の「カサス」のテーマを初代〜5代目まで、しっかりと鑑賞する衝動に駆られてしまった。

火サス主題歌
初代:岩崎宏美「聖母たちのララバイ」(1981年9月29日 - 1983年4月26日)
2代目:岩崎宏美「家路」(1983年5月3日 - 1984年6月26日)
3代目:岩崎宏美「橋」(1984年7月3日 - 1985年6月25日)
4代目:岩崎宏美「25時の愛の歌」(1985年7月2日 - 1986年9月30日)
5代目:岩崎宏美「夜のてのひら」(1986年10月7日 - 1987年11月24日)

ただ、自分にとっての「火サス」のテーマソングは、この後の6代目主題歌、杉山清貴「風のLONELY WAY」だったりする。



http://www.youtube.com/watch?v=LBqNfvQZdCM

自分にとっての杉山清貴は、オメガトライブではなく、「風のLONELY WAY」、そして、「火サス」である。よく覚えてはいないが、たぶん、入院中だったのではあるまいか。「風のLONELY WAY」を、初めて聞いたのは。

入院の退屈を紛らわせるために、親が買ってくれた、小さなアンテナ付きテレビ。「風のLONELY WAY」に惹かれ、退院後も自分は、火曜日になると、必ず「風のLONELY WAY」を聞くために、「火サス」を観た。

そこでは総じて愚かな人間が、愚かな行為を重ねていく様が、毎週執拗に演出され、描写されていた。ほの白く青い光に包まれた夜の中で、毎晩のように肩を怒らせてじっと空中を見つめている馬鹿馬鹿しさを、自分は、それに投射した。

だからいまだに、自分にとっての夜はまるで火サスのようなもので、眠ることの快楽をあまり知らない私は、時々馬鹿馬鹿しくも、「火サス」を見ていた頃の感覚で、その居心地の悪さを、取り戻したくなってしまうのだ。
posted by 成瀬隆範 at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月03日

虹とスニーカーの頃



かつて自分の見ていたCMに同級生が出ていたことも知らず、その曲名だけは、ずっと忘れずに憶えていた。

最後に顔を見たのは、もう20年も前。ふとした記憶から調べてみて初めて、その人の名前がWikipediaにも載っていたことを知る。

昨年、一般人と結婚し、もう子供もいる模様だ。もしかして、その「一般人」も、私の知る人間なのだろうか…。
posted by 成瀬隆範 at 01:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月28日

Heal the World

ちょっとした連絡を受けたことをきっかけに、過去に自分がやった和訳を思い出した。




死んでいく人たちもいるんだ
もし君が生きていこうとするのなら
もっと素晴らしいものにするんだ
君と僕のために




多くの人間に興奮と幸せを与えてきた人だったはず。その分、命数を使い果たすのが早かったのだろうか…。

肉体は消える。物質は壊れる。でも、彼の作った作品の奥底に流れる精神はたぶん、彼の人生の命数よりも長く残り続けていく。
posted by 成瀬隆範 at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月06日

生き残ってきた波の数

holdmelikewaves.jpg

中野で音楽/映像資料を探していると、映画『波の数だけ抱きしめて』のサントラを安く入手することが出来た。

自分は、この頃は高校生。ホイチョイ・プロダクションズの一連の作品は、題名だけ覚えている、という感じである。当時のバブル末期の時代の流れは、ただ傍観者として接しているうちに、「バブル崩壊」という言葉のみが強烈な印象を残し、時代は停滞の時代へと突入してしまったわけだ。

映画『波の数だけ抱きしめて』は、湘南ミニFM局の運営をめぐっての 1982年当時の若者の青春を描いた映画。このアルバムは同映画のサウンド・トラックで、映画内の架空のFM曲で流された曲が収録されている。

波の数だけ抱きしめて』は、時代を反映したような明るく切なく恥ずかしい作風の映画であり、選曲も当時お洒落だったAORである。だから、バブル崩壊とともに、その映画の良さを理解する感性も、急速に時代の主流からも外れていってしまったように思う。

しかし、間違いなくあの頃は明るかった。多くの人が実体のないものを信じ、その上面を流れるように軽く滑って行ってしまったのに対し、ホイチョイ・プロダクションズは、その根底にあるものをしっかりと見据え、『気まぐれコンセプト(漫画、1981年〜)』『サントリー・サタデー・ウェイティング・バー AVANTI(ラジオ番組、1992年〜)』など、長寿作品や、近年では『メッセンジャー [DVD](映画)』『バブルへGO!!(映画)』などのヒット作品も制作することが出来ているのだと思う。


>>Album Information
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2009年03月25日

ジョバンニのミストーン



昨日は高校時代からの友人の誘いで、Giovanni Mirabassi のトリオの演奏を聴きにいってきました。

ずいぶん前にその友人からソロアルバム "Avanti!" を貸してもらったことがあるけれど、その音源を入れておいたはずの itunes のデータが数ヶ月前に全て飛んでしまい(1万曲分のデータがおじゃんになりました)、すっかりどんな人だか忘れたままで、行くことになりました。

Giovanni Mirabassi (p)
ジョバンニ・ミラバッシ(ピアノ)
Gianluca Renzi (b)
ジャンルカ・レンジ(ベース)
Leon Parker (ds)
レオン・パーカー(ドラムス)

出だしはピアノソロで開始。もちろんプロですから、そつなく質の高い演奏をこなします。しかし、演奏の質が高いからこそほんの数秒の些細なミスが目立ってしまい、それがいくつか重なってしまっていたように思います。

開始当初なんとなく違和感のあるトーンがいくつもあって、何となく「様子を見計らっている」雰囲気。ちょっと不安になりましたが、そのままうまく流れを見つけることが出来たようです。ちなみに、どうやら友人はどちらかというと "Avanti!" イメージのピアノソロを求めて行った様子。ソロ中の肝心なところでミストーンしたり(後述)、ベースソロ中になぜか自己主張を始めたり(後述)、アンコールの "Autumn Leaves" の演奏のイントロがわざとらし過ぎて個人的にはあまり好感が持てなかったり(日本人へのサービスのつもりで意図的にやったように思いますが、自分にとっては Too Much です)と、演奏の質が高い分だけ目立つマイナス面が存在していました。

アップライトエレキベースの Gianluca Renzi は、終始落ち着いた様子で、そつなく安定した演奏。ただ、トリオで演奏中、Giovanni Mirabassi がソロ部分で本来「弾きたかったはずのフレーズ」の最後の1音を(恐らくは)半音高く弾いてしまったのを聞いて思わず吹き出していたり(三者ノリノリでテンションが上がっていたところだったので無理もなし。きちんとそのフレーズが決まっていれば、とてもかっこ良かったはず…)、アンコールの演奏ではせっかくの Gianluca Renzi のアルコ(弓)を使用したソロ演奏中になぜか Giovanni Mirabassi が自己主張した演奏を始めてしまい、「お前、ソロやりたいのか?お?お?」とばかりにアルコで Giovanni Mirabassi を指してジョーク気味に挑発するなど、時々お茶目な行動もとっていました。

一番楽しそうに演奏していたのは、ドラムの Leon Parker なのではないかと思います。Giovanni Mirabassi は多少調子が良くなかったように思えたものの基本的には正攻法でそつのない演奏、ベースの Gianluca Renzi も安定志向と、ピアノとベースが割と安定した土台を築いている分、Leon Parker がその土台の上で自分の思うまま、自由なドラミングをしていたように感じました。少々トリッキー過ぎるのと、その演奏の自由さ(あるいは無邪気さ)がピアノトリオとしてのハーモニーという意味で少々邪魔に思える部分もあったように感じてしまったのが残念ですが。ただ、ベースとのフォーバースの時に、ベースソロでの微妙な音程の変化を受けて、スティックの柄でタムの表面を強く押すことでその音程の変化をそのままドラムで再現したインタープレイを実現していたのには、素直に感心してしまいました(Gianluca Renzi もどうやら感心した様子でした)。今までにそのような奏法は体験したことがありません。

私はあまりライブやコンサートには行かないタチですが(費用対効果がマイナスになることが多いから)、たまに行くと、何らかの刺激になるのは事実です。 Giovanni Mirabassi 目当てに行ったのではないからこそ、Giovanni Mirabassi の演奏にあまり好感が持てなかった部分があったとはいえ、質の高い演奏をそれなりに楽しんで聴けたように思います。
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2009年03月20日

古き良きジャック



特に狙ったわけではないのだが、久しぶりに買ったCDの何枚かが New Jack Swing ものばかりだった。

その中の1枚、Gary Brown "Rhythm or Romance
"。

私が New Jack Swing でよく聞いていたのは、Johnny GIll。ちょうど「あの」"My, My, My" の頃に、J-wave で超ロングヒットしていたのは、中学生の頃。

New Edition のVHSビデオ "Past & Present では Johnny GIll の圧倒的な熱唱が聴ける。New Jack Swing は、今聴くと懐かしさが先に立ってしまい、時代の急速な流れを意識してしまう。ただ、この頃の「ざっくりとした」音使い、そしてPVや衣装などのデザインワークは、けっこう自分のルーツになっているように感じるのである。

>>Album Information
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2009年02月27日

憧れの作り出すもの



安部恭弘
 "Slit" 1984

ここ数日で入手した中での1枚。どうでもいいけど、鈴木茂氏がギターを弾いている模様。

稲垣潤一安部恭弘と共に「ニューウェーブ4人衆」と言われていたそうだが…)の楽曲の中でも一番好きな曲、ロング・バージョンの作曲者でもある。自分は Joao Gilberto の音楽性がとても好きなので(ミュージシャンのクレジットが「歌、ギター ジョアン・ジルベルト」のみ。格好良過ぎ)、ボサノバの手法を多用する感覚が好みに合っているのだと思う。そして、TOTO っぽさが出ているところも。

日本人の楽曲を聴く度に思うのが、「〜っぽい」という表現をどうしても使いたくなってしまう、ということ。これは、場合によってはアーティストに対しての最高の侮蔑となりうる言葉なのに。つまり、オリジナリティがない、という烙印を押しているようなものなのだから。

しかし、音楽というものは時代性を鑑賞の一基準として考慮しなければ、その価値を見損なってしまう。現代は情報の共有化が進みつつある時代だから、実は、昔よりもますます「〜っぽい」が、表現しやすくなっている。

情報の少なかった時代は、たぶん、憧れで音楽を作ることができていたはずだ。「憧れ」とは想像(イマジネーション)でもある。だからその意味では、憧れで音楽を作ることも、ひとつの創造のやり方だといえる。

情報が手に入りやすくなり、分析の手法も確立した「今」の音楽は憧れとは言えないだろう。データの収集と分析を進めていれば「それなり」の作品ができてしまうわけだが、それは理科の実験と同じようなものだ。結果を知っている人間には、大した感動はもたらさないのである。

とにかくこのアルバムの中で一番惹き付けられたのは、「シティポップっぽい」曲でも、「TOTOっぽい」きょくでも、「ボサノバっぽい」曲でもなく、単純なメロディーを素直にピアノの弾き語りで歌いこなした「砂色の夜明け」だったりするのである。
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2009年02月23日

メッゾフォルテは過ぎていた



Mezzoforte "Catching Up With" 1984

ここ数日で音楽/映像素材を複数入手した。そのチェックをした中での1枚。

音楽を鑑賞する時に、「時代性」というのを抜かして鑑賞することはできない。自分が青春時代〜青年時代を過ごしたのは、いわゆるバブル後期〜崩壊後の、抑圧された時代である。

中学時代に聴いていた音楽は、開局したばかりの J-Wave で流れていた曲。生まれて初めて買ったCDは、Don Henley の "The End of The Innocence" (1989年)の新譜だった。確かに、無邪気な時代は終わりに近づいていたのだ。

しかし、私が好んでいる音楽の多くは、自分が生まれた頃や、自分がまだ音楽を聴き始める前の1970年代〜1980年代初頭にかけての音楽である。

Mezzofrte(メッゾフォルテ)。アイスランドのフュージョンバンド。1982年にブレイクしたとのことで、私はまだ小学校低学年の頃。知っているはずもない。

Fridrik Karlsson (G)、Eythor Gunnarsson (Kb)、Johann Asmundsson (B)、Gulli Briem (Dr)、Stefan S. Stefansson (Sax)、Bjorn Thorarensen (Key)、Louis Jardim、Ron Aspery、Guy Barker、Ellen Kristjansdottir、Shady Calver、Bjorn Thorarensen

当時は勢いに乗っていたバンドなのだろう。その「勢い」が、良い意味でも悪い意味でも出ているような気がする。高度な音楽演奏技術を持っていることは間違いないものの、グルーヴ感が表面的で、先を急ぎ過ぎているような印象を与えてしまうのが残念といえば残念に思えてしまう。

ただし、そんな風に感じてしまうのは、単なる自分の好みとシチュエーションの問題だと思う。

今日は雨。午前中だというのに、少々薄暗い部屋でこれを聴いている。もしこれが、ジャケットの写真にあるような真っ白に広がる砂浜で聴いているのなら、それは最高の音楽だと思えるのではないかと思う。

時代はメッゾフォルテからフォルティッシモへ。そんな音楽の聴き方が自然とできた時代があったというのは、とても恵まれたことだ。自分はその時代に音楽体験をしていないが、自分が音楽を聴いていた時代の時代性は今でも自分の中でしっかりと息づいており、私はそれを噛み締めながら、前に進むことができている。

posted by 成瀬隆範 at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月16日

耳をすますキャンバス




山下洋輔 「耳をすますキャンバス」 1996

ここのところ聞いているアルバム。

山下洋輔氏の親友,松井守男画伯に捧げるソロ・アルバムであり、ジャケットの画は松井守男氏の作品。収録曲の多くはアートに関連した曲名となっている("Echo of Gray"、"Into Green"など)。

私は元々ソロピアノ、あるいはピアノデュオの作品が好きである。現在、自分自身でピアノの練習を始めているので、耳を肥やすためもあって、手持ちのソロピアノのジャズアルバムを意識的に聴くようにしている。

たぶん10年近く前に手に入れていたアルバムだが、しっかりと向き合って聞いたのは初めてかもしれない。当時ではわからなかった色々なことが、今はわかってくる様な気がする。

全体的にアメリカよりもヨーロッパを感じさせる。落ち着いて細やかな音のグラデーションをベースとしながらも、氏のエッセイ『新ジャズ西遊記』に見られるような、強烈な、どこか崩れたような個性もしっかり織り交ぜられている。

個人的には、4曲目の "Splashes on Palette" タイプの曲が引けるようなピアノ弾きになってみたいと思っている。例えば、Mal Waldron のアルバム "All Alone
" の中でも、"If You Think I'm Licked" のような叩き付ける弾き方に魅力を感じてしまう。

その一方で、10曲目の "Into Green" のような、繊細な音の罪重なりと、間のコントラストが活かされた曲も、自分の惹いてみたいと思うピアノスタイルであり、結局、自分の好きなピアニストは、「強烈さ」と「繊細さ」の虜法が際立っている人、ということになる。

結局は両極端なものを同時に見てしまう、という昔からの自分のものの見方が、ただ反映されているだけなのだが。

最近、昔よく呼んでいた本を読み直している。たぶんまた、今までの自分の流れをまとめて、はっきりとした形にしたいという欲求が強くなってきているのだと思う。
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2009年01月18日

【音楽】Paris Match "Saturday"




自分は長らく英語講師をやっており、中学生の頃から、海外の音楽にも継続的に親しんできている。

ご多分に漏れず、私にも海外の音楽>日本の音楽という価値観が支配していた時期があったものの、大学卒業の際に論文をしあげたこと、また、ほぼ同時期にアート業界で働くようになったことをきっかけとして、日本の音楽をとても素晴らしいものとして鑑賞するようになった。

自分で音楽を収集することも継続的にやっているのだが、近年は、音楽収集の専門家であるDJを通じて曲を知ることを覚え、ピンポイントで良い曲を提供してもらっている。

DJ Bar Future Flight では、都会的でセンスの良いサウンドをいつも提供してくれる。音楽に対する小難しい偏見がないのがこの店の素晴らしいところであり、日本のシティミュージック、として紹介された中にあったのが、Paris Match
の "Saturday" だった。

私はレコードの収集家ではないので実感としてはわからないが、東京ほど、世界的に見て様々な種類の音源が集まっている都市はない、と聞く。ネットの世界にも多くの音楽が満ちあふれている。音源の少ない時代には、日本人ミュージシャンは観察者としての優位性をあまり発揮できるものではなかったかもしれないが、音源が豊富に満ちあふれている現代、私は、歴史的に組み上げられて来た自国の音楽的文化(いわゆる純邦楽)の衰退を嘆く一方で、優れた観察者と模倣者としての視点を活かし切った、良質な音楽がどんどん生まれて行くであろことに、期待していたいと思っている。

観察と模倣で音楽を作り出すことも、ひとつの個性なのだから。それが徹底的になされているのなら、だが。
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2009年01月07日

Even Now

自分自身のデモテープを作るために、ずっと色々と思考錯誤をしている。

近年は、音楽での表現をするよりも、デザインでの表現をする方に慣れてしまって、とっくにデモテープ(正確にはデモCD)のデザインは出来上がってしまっている。それにもかかわらず、未だに録音に踏み切れない。自分の演奏技量に満足がいかないのである。

ボーカルだけの録音だったら、それなりのクオリティで仕上げることができるのだが、今回は、自分自身でキーボードも演奏しなければならない。元々私はボーカリスト適性のある人間なので、キーボードの練習は、なかなかはかどらないのである。

そうはいっても、私の演奏を聴くのを待っている人がいるので、いつまでも先延ばしにはできない。もう既に1年近くも待たせてしまっているのである。

Bobby Caldwell。自分の一番好きなミュージシャンである。繊細で不器用な男。

今日は笹沢左保を読んだから、なおさら、そんな男の作った曲で、落ち着いてみたくなるのである。皮肉な結末の後には、優しい癒しが欲しくなる。


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2008年09月17日

恥ずかしさもどこかへ

まるで 風の中の 蝋燭のようにはかなく
そして 純白の それは まるで 罪深さのように

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"Love Suicide" を和訳した。

この曲を知っている人は……私の周囲には、あまりいないのではないかと思われる。非常に暗く耽美的で、陰鬱で重い歌だ。

覗いてはいけない奥底を、覗けるようになってしまうような時代だ。この歌も、そんな時代と共に、生まれてきたようなものだ。

大切なのは、世界観の構築がなされているかどうかだ。たいした世界観の構築ができていないのに、表面だけが綺麗に取り繕われているだけで、どれほど傲慢になれるものなのか。そんな思いが、この10年間、ずっと消えない。

だから、この曲を和訳する気になったのかもしれない。大多数の人からは認められないようなメディアで、暗く陰鬱で耽美的な世界観を追求したこの「作品」に。

前時代に賢く生きた人間は、数字を膨らませることに限界を感じ、次の時代への架け橋として、生きることに必要な物を釣り上げ、膨らませようとしている。そして、終わりかけた世代の幽霊が、ただ年を経ていないという理由で、形のないはずのものに手をつけ、食い物として蓄え、将来を貪ろうとしているようにもみえる。

もし、そんなまっただ中に投げ込まれているのだとしたら、強くあれ、としか言いようがない。

時代は急速に変わっているのだから。
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2008年09月16日

名前が欲しいとは思わない

真っ暗闇の時間 真っ暗闇の夜
まだ遥か遠く 朝の光は

まだ眠れない どうしたらいいのかわからない
こんな 真夜中の憂鬱な気分では

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Gary Moore の Midnight Blues を和訳した。

私の私淑している良寛は、「絵師の絵、書家の書」を良しとしなかったという。それはつまり、絵師や書家がえてして技巧に走りがちで、それはつまりある一定の型や枠に自らはまってしまうことを意味するのだが、それを、良寛が見抜いていたからだと、私は思っている。

Gary Moore は基本的にギタリストであり、別に専門の作詞家ではないが、その歌詞は難しい単語を使ったり、技巧に走ったりすることなく、実にストレートで、私にはとても好感が持てるものとなっている。

私は良寛の考え方にかなり影響を受けており、自分のことをラベリングすることは滅多にない。例えば私はウェブデザインをしているが、自分がウェブデザイナーであると誰かに表現することは非常に稀であるし(お金をもらって継続的にデザインを担当している立場にあるのだが、たとえそうだとしても、だ)、写真を撮ってもいるわけだが、自分を写真家と表現することもない(アマチュア写真家、という表現すら使うつもりがない)。絵を描いたとしても自分が「絵師(現代でいう画家)」であるとは思わないし、書を書いたとしても、自分が「書家」だとは思わないと思う。

それは、枠にはまりたくないからである。枠にはまれば、その枠以外のものが見えにくくなってしまう。しかし、枠にはまっていた方が、世間的には有利であることがわからないほど、視野は狭くないつもりである。

ということで、私が自分に枠をはめるとしたら、現在のところたった二つである。メインの職業である「美大受験の英語/小論文講師」と、自分が本当に好きで打ち込むことのできる、「ボーカリスト」なのである。
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2008年09月15日

結婚披露宴セットリスト公開

土曜日に、妹の結婚式&披露宴で音楽担当でDJしてきたわけですが。その時のセットリストを公開します。

その場の雰囲気で選曲してつないでいくような実力や豊富な音源もなかったし、会場の機材の関係上、MDとCDを交互につないでいかなければならないという制約があったので、セットリストを作って、ほぼそれに忠実にやったというわけです。

音源の少なさとDJとしての実力の低さをカバーするために、選曲のコンセプトで勝負したつもりです。選曲のコンセプトは、「男と女」「インターナショナル」。歌詞やタイトルは基本的に事前に全てチェックを行い、失恋の歌や結婚式に相応しくない内容の歌は全て削除あるいは飛ばしながらしながらつないでいますし、暗い曲も基本的にはかけていません。

(以下、セットリスト)

新郎・新婦入場
USAF Band of the Pacific-Asia "American Patrol"

在日アメリカ空軍音楽隊による行進曲の演奏。今年の横田基地の友好祭の時に、このバンドのバンドメンバーが一部出演。本CDも、その際に入手。ちなみに、新郎の職場では、結婚後は横田基地にすまなければならない規定になっているとのこと。

食事
Orquesta de la Luz "De La Luz"

楽しげな食事のために、サルサバンド。Orquesta de la Luz は、日本人が結成したサルサの楽団。1989年夏、ニューヨークのサルサ・フィスティバルで成功をおさめ、翌年BMGビクターよりデビュー。ビルボード誌ラテン・チャートで11週間にわたって1位を獲得、圧倒的な人気を得た。日本人の音楽家としては初めて、国連平和賞を受賞。

ケーキ入刀
David Foster "Love Theme from St. Elmos Fire"

アメリカ映画「セント・エルモス・ファイア」のテーマ曲。同映画のプロットを元にして、日本のドラマ「愛という名のもとに」が制作された。新婦は、「愛という名のもとに」をちょうどリアルタイムで見ていた世代である。

食事
Gloria Estephan "Caribbean Soul"

エキゾティックに、カリビアンな雰囲気で。キューバ生まれでアメリカの歌手 Gloria Estephan は 1975年に、後の夫となるエミリオ・エステファンが率いるバンド「マイアミ・ラテン・ボーイズ」に参加し、1978年9月2日にエミリオと結婚。新婚旅行は熱海温泉。1996年にアメリカ合衆国で開催されたアトランタオリンピックの閉会式では『Reach』を大観衆の前で歌った。

中座*お色直し
Quincy Jones "Se E Tarde Me Pardoa (Forgive Me If I'm Late)"

数々の名盤を輩出したアメリカの名プロデューサー Quincy Jones が、ブラジル発祥の音楽ボサノバをアメリカ発祥の音楽であるジャズ(ビッグバンド)のスタイルで演奏する。お色直しの中座で、「遅れたらごめんなさい」ってわけ。

食事
Bobby Caldwell "Blue Condition"

アメリカ本国よりも、日本での人気が高い Mr.AOR のビッグバンドジャズアルバム。Beyond The Sea、I'm Concentrate On You、All The Way など、今回の多国籍結婚式に相応しいタイトルの曲を中心に選曲。

二人そろって再入場
Swing Out Sister "Am I The Same Girl?"

80年代から継続的に活動を行っているイギリスの男女デュオ。アルバムを日本で先行発売したり、日本独自企画盤音源を提供したり、日本人のトリビュートアルバムなどへの参加も積極的に行うなど、日本との密接なつながりがある。お色直しのあとの再登場だから、"Am I The Same Girl?" 

抽選会 会場装花 プレゼント
Watanabe Katsumi "Kumpoo manman"

YMOの世界ツアーにも参加した日本人ギタリスト渡辺香津美が、中国の雄大な自然を感じさせる「薫風漫々」を演奏する。

食事
Carole Serrat "Chinese Soup - Enveloppee de Tendresse"

フランス人ボーカリストが、荒井由美(ユーミン)の楽曲をフランス語で歌う。愛する人のためにスープを作る、という#2 Chinese Soup(直前の中国風の曲 Kumpoo Manman を受けて)、ジブリの映画の挿入歌で使用された「#3 Enveloppee de Tendresse(やさしさに包まれたなら)」。

食事
Clementine "Long Currier"

直前の選曲を受け、フランス人歌手クレモンティーヌの、日本人によるプロデュース作品。東京のクラブ・シーンで活躍する当時(1993年)の新鋭アーティストたちのサポートを受けて完成させたアルバム。

花束贈呈
Regina Belle & Peabo Bryson "A Whole New World"

言わずと知れた…。ディズニー映画「アラジン」のテーマソング。デュエット曲。ベタかなー、と思いつつ。同曲は世界中で様々な言語に翻訳され、カバーされている。

Everything But The Girl "Time After Time"
Jordan Hill "Until the End of Time"

Cyndy Lauper の名曲を、男女デュオの Everything But The Girl がピアノ+ギターのシンプルな演奏で歌う。レーベル企画によって1982年にインスタント・ユニットとして結成されたがその後永続的に活動するようになり、やがて二人は結婚。

Until the End of Time は All For One とのコラボ曲。本アルバムのプロデューサーは、ケーキ入刀の際のテーマ曲を制作した David Foster。「2人一緒に手を使ってのパフォーマンス」ってことで、シンクロさせてみた。もちろん、曲名も前の曲の "Time After Time" からの引き継ぎ。

新郎・新婦退場
Earth Wind & Fire "In The Stone"

新郎の名字は Bailey ですからね…。

お開き見送り
Kenny G "Wedding Song"
Quincy Jones "Septembro"

結婚式ソング。"Septembro" は、ブラジルのウェディングソング。季節もぴったり。

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と、いうわけで、数少ない音源の中からなんとか苦労して選びました。当日、多少のリクエストがあって差し替えがあったり、お開き見送りで招待客がなかなか還らずになんとかしっとり系バラードをつなぎながら(もちろん、歌詞は全てチェック済み)最後まで通したりという状態になったものの、全体としては、なんとかそつなくこなすことができました。

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2008年08月27日

「私は歌を歌います」

仕事から帰って ワインを一杯
靴を脱ぎ捨てて あなたを待つの
明け方を過ぎても あなたは来ない
私のどこが 悪かったというの?

私は眠り あなたがこっそり入ってくる
私は気づかなかったのよ その時まで
あなたの匂い 私のものじゃない 誰かの
あなたは また どこかへ行っていたのね

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今日の和訳。Lisa Stansfield の I'm Leavin'。別れの曲。

歌を歌う、などということは、人間という種に属していれば、誰にだってできることだ(身体機能に障害がなければ)。そんな誰にだってできる、当たり前のことを取り上げて敢えて自ら「私は歌を歌います」「私はボーカルです」と公言するのであれば、歌には高いクオリティが求められるのは、当然のことだと思う。

先日、米軍横田基地の年1回の友好祭(一般人が敷地内に唯一入れる日)に行ってきた。土砂降りの雨という不愉快な天候の中、わざわざ出かけていったわけだ。

格納庫の中のステージで最後に出演したのは、知り合いのバンドが出演した後に、空軍所属のメンバーによるバンド演奏があった。さすがに上手い。友好祭、ということもあってか、数曲日本の曲を演奏した。ちゃんと日本語の歌詞で歌った。しかも、ネイティブに限りなく近い、ほぼ完璧な日本語の発音。

「私は歌を歌います」と公言しつつ、英語の歌詞を適当に処理して歌っているボーカリストはとても多い。英語が母国語のボーカリストが完璧に近い日本語の歌を提供してくれたのである。日本語が母国語のボーカリストが完璧に近い英語の歌を提供できないはずがない。

わたしはそれが、敢えて「ボーカリスト」を公言する人間としての、相手の国の文化に対する最低限の礼儀だと思っている。「ボーカリスト」としてのプロ意識があれば、発音の悪さなど、かなりの部分まで克服できるはずだ。

それができないのであれば、その人の「ボーカリスト」の才能がそこまでだった、ということだ。私も「歌を歌います」と公言する一人である以上、常にプロ意識は持っている。だから、そのような厳しさは常に保っていきたいと思っている。



posted by 成瀬隆範 at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

たった今、ひとつの恋愛を終わらせたばかりのように

だって あなたは私に 与えてくれる
こんな気持ち 私にはわからないような
あなたは 私に 与えてくれる
それは もう二度と 見つけられないような

愛して そして 生きている
ねえ これ以上 何を望めばいいの
もう二度と 恋をすることはないでしょう
あなたが 私に 与えてくれる
もっと もっと そして
私はもう 探さない
もう二度と 恋なんてしない

-----

もう いやな思いなんてしない
もう 逃げたり 隠れたりしない
もう あんな嘘を ついたりなんかしない
それはもう ずいぶん昔のこと

もう 束縛されたりしない
もう 気にしない 人がなんて言おうとも
心の中に 抱えてても 意味がないじゃない
触れた指先が熱い 火の中に 飛び込んでしまいたい

-----

久しぶりに、英語歌詞和訳をしてみた。曲は、最近ヘビーローテーションしている、Lisa Stansfield の "Never Gonna Fall" と "Real Thing"。

実は、和訳をするのには、とても大きな精神力が必要となる。なぜなら私の和訳のコンセプトは、CDの歌詞和訳にありがちな堅苦しい和訳ではなく、読み上げて美しく、男でも女でも、読んだ人が共感できるように、細心の注意を払って和訳をするからである。

和訳をする度ごとに、私は、歌詞の通りに喜び、悲しみ、恋をせざるを得ないと言っても過言ではない。そうでなければ、自分の納得いく和訳ができないのである。男のボーカリストの歌であれば、私はその内容通りに恋愛をし、女のボーカリストであれば、私はそこに出てくる男と同じように、その女の人と恋愛をしている気分で和訳を行う、ということになる。

それは非常に疲れる作業である。和訳をする、という作業自体には肉体的な疲れは伴わないとはいえ、ひとつの楽曲の和訳を完成させるころには、私の精神が大きく疲弊してしまうのだ。まるで、たった今、ひとつの恋愛を終わらせたばかりのように。

今日も、また。「恋は盲目」などという陳腐な言葉を使うまでもなく、人がどれだけ人を好きになれるものなのかを、今ではもう知っている。



posted by 成瀬隆範 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月15日

進まない心

バーに行こうと思ったら、雨が「行くな」と降ってきた。ICE の Big Beat From The City を聴きながら、最後に残った McClelland's を空けてしまうことにした。

ふと思い立って、Youtube で Blue Moon のプロモーションビデオを探してみた。まぶしく光の当たった石垣島の映像を見ながら、まるで取り残されてしまったかのような国岡真由美は今どうしているのだろう、と、考えてしまう。

ICE はとても好きなユニットだった。なんで、過去形で書かなければならないのだろう。アルバムの中に収録されている全ての曲を気に入っているミュージシャンは、ICE 以外には存在していない。ギターの宮内和之が亡くなったのは、2007年12月18日のことだった。

その時自分は、行きつけのバーで飲んでいた。翌日はマスターの誕生日でもあり、私は自分でデザインしたドリンクチケットを、ちょうど一日が切り替わる瞬間を待って、誕生日プレゼントとして渡した。煌めく光のデザインにマスターはとても喜び、私も大きな達成感に包まれた。

喜びの中、私はいつもと変わることなく飲み続けた。時間はどんどん過ぎていく。1人また1人と、家へ帰る。そして、ある人が帰り際に、私にそっと耳打ちしたのである。

「ICE のギタリストが、亡くなったそうですよ…」

それは、予想もできない衝撃だった。その2日前には、Dan Forgelberg も亡くなっていた。人は生まれる一方で、どこかへと知れずいなくなっていってしまうこともある。また会えることもあるのかもしれないし、もう二度と会うことがないのかもしれない。それでも今日の後に、同じような明日が続くことが当たり前だと思い込み、人は生きていく、というわけだ。

パートナーを失うとは、どんな気持ちなのだろう。自分には、想像することしかできない。この10年で、想像の力の大きさを十分にわかったつもりでも、それでも、パートナーがいない自分にとっては、そんなこと、本当にわかるはずもない。

Blue Moon の映像では、国岡真由美は宮内和之のことを見ていない。
宮内和之はサングラスをかけ、どこを見ているのかすら、わからない。

Wikipedia によれば、二人は宮内和之の晩年に結婚したそうである。宮内和之の5年間闘病生活。その時間の流れを考え、国岡真由美の心を推し量ってみても、思考はただ上っ面を滑っていく。

曲は次々と切り替わる。Blue Moon から Night Flight 、そして Sherry My Dear へと、次々と私はクリックを重ねる。ライブ映像を見て、私は強烈に自覚する。クリック。Baby Blue。宮内和之と国岡真由美のツインリードボーカル。

私は強烈に自覚する。少し前から、わかっていたこと。クリック。Love Makes Me Run。どこか似ているんだ。国岡真由美は。

クリック。Slow Love。McClelland's は既に空になり、私はずいぶん前に冷凍庫に入れておいたイェーガーマイスターを取り出し、ショットグラスに満たした。

こういう飲み方をする時、酒は感覚を麻痺させることはできても、心を満たすことはない。あまりほめられた飲み方ではない。イェーガーマイスターを選んだあたりに、健康へのくだらない気遣いがみてとれる、というわけだ。このような飲み方を重ねていくと、最後には、酒に飲まれてしまうのだから。

クリック。Kosmic Blue。クリック。Truth。

自分が望む、たった一言が聞けなかっただけで、心が離れていってしまうこともあるのだ。

クリック、So Into You。何回重ねたとしても、何も満ちることがないことは十分わかっているはずなのに。
posted by 成瀬隆範 at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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