Smoke Stings Studio > 文芸作品 > Smoke Stings Studio Blog

2008年03月05日

春を待つとまどい 2

前回の続き)

そこは洋酒専門店を銘打った、洋酒バーである。照明を落とした店内はバックバーに琥珀色が溢れ、ジャズのレコードやCDが奏でる音が店内を満たし、ほぼカウンターのみの狭い店内は、不思議な春の温かさにしっとりと包み込まれている。

無骨だが豊かな木の曲線と緩やかな木目がそのまま活かされたカウンターに私と友人は席を取っていた。時折マスターが酒を作っている姿を、そのまま鑑賞できる位置である。

バーにも色々なスタイルがあるが、職人性と芸術性の融合、伝統的感覚と若々しい感覚の融合が高度になされているという点において、このバーは他のバーに比べ、群を抜いた魅力を備えている。そして何よりも素晴らしいのが、マスターの人柄である。高度な技術とこだわりを備えていながら、一切それを誇ることなく、いつもやわらかな笑顔と温かさで接客を行っているのだ。

このバーは自分で開拓したのではなく、他の店のバーテンダーから紹介を受けたものである。本当は誰にも教えたくないのですが、と前置きをしつつ、惜しげもなく教えてくれた彼は、やはり私と同年代であり、将来は吉祥寺に店を持つことを夢見ている。とある鞄屋の店鋪の店構えをやけに気に入り、店を持つならあそこかな、それじゃ俺は鞄屋が繁盛して別の大きい店鋪に移ることを祈っとこうか、などと冗談を言い合ったりもする。

本当は教えたくない、の持つ大きな価値を、私はわかっているつもりだった。そして紹介を受け、実際に店鋪に足を運んでみて、私も思ったのだ。

ここは本当に大切な人にしか、教えたくない店だ、と。

その日連れてきたのは、高校時代からの友人だった。無骨で不器用で、それでも、とても真っすぐな人間である。賢く振る舞うことはできないが、結果的には自分自身にとって正しい道を選択して歩くことができ、私とはある意味正反対の個性を持っていながらも、腹を割って話をすることのできる、大切な友人なのである。

彼は、アイリッシュ・ウィスキーを好んで飲む。私はモルトをストレートで飲むことが多いが、ストレートは、彼のスタイルではない。ストレートは、あまりにも真剣で真面目すぎる。彼はウィスキーをそのように鑑賞するには、あまりにもロマンチストなのである。ロックで注文をし、ずんぐりとしたグラスの中を彩る氷の煌めきを掌に抱えながら時間を過ごすのが、彼に一番相応しいやり方なのだ。

「なんだか懐かしいんだよな……」

呟き。

私はそれに、頷きを返す。時を経た、丸みを持った温かさ。この空間はあまりにも快適で、時間を確認する、などという考え方すらなくなってしまう。腕時計は、この場所ではただの邪魔者なのだ。

「実は、今日会いたいと思っていたのはさ……」

彼の心の壁は、この空間と、好きな酒によって、だいぶ溶けてきたようである。

「子供、が、できた、らしいんだよ。俺に。」

次回に続く
posted by 成瀬隆範 at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
RSS feed meter for http://smokestings.seesaa.net/styles-63486.css
0このブログのトップ
9Seesaaブログ

 

since 2004.10 : copyright 2008 (c) all rights reserved : Naruse Takanori @ Ace Art Academy エースアートアカデミー
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。