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2009年02月27日

憧れの作り出すもの



安部恭弘
 "Slit" 1984

ここ数日で入手した中での1枚。どうでもいいけど、鈴木茂氏がギターを弾いている模様。

稲垣潤一安部恭弘と共に「ニューウェーブ4人衆」と言われていたそうだが…)の楽曲の中でも一番好きな曲、ロング・バージョンの作曲者でもある。自分は Joao Gilberto の音楽性がとても好きなので(ミュージシャンのクレジットが「歌、ギター ジョアン・ジルベルト」のみ。格好良過ぎ)、ボサノバの手法を多用する感覚が好みに合っているのだと思う。そして、TOTO っぽさが出ているところも。

日本人の楽曲を聴く度に思うのが、「〜っぽい」という表現をどうしても使いたくなってしまう、ということ。これは、場合によってはアーティストに対しての最高の侮蔑となりうる言葉なのに。つまり、オリジナリティがない、という烙印を押しているようなものなのだから。

しかし、音楽というものは時代性を鑑賞の一基準として考慮しなければ、その価値を見損なってしまう。現代は情報の共有化が進みつつある時代だから、実は、昔よりもますます「〜っぽい」が、表現しやすくなっている。

情報の少なかった時代は、たぶん、憧れで音楽を作ることができていたはずだ。「憧れ」とは想像(イマジネーション)でもある。だからその意味では、憧れで音楽を作ることも、ひとつの創造のやり方だといえる。

情報が手に入りやすくなり、分析の手法も確立した「今」の音楽は憧れとは言えないだろう。データの収集と分析を進めていれば「それなり」の作品ができてしまうわけだが、それは理科の実験と同じようなものだ。結果を知っている人間には、大した感動はもたらさないのである。

とにかくこのアルバムの中で一番惹き付けられたのは、「シティポップっぽい」曲でも、「TOTOっぽい」きょくでも、「ボサノバっぽい」曲でもなく、単純なメロディーを素直にピアノの弾き語りで歌いこなした「砂色の夜明け」だったりするのである。
posted by 成瀬隆範 at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月23日

メッゾフォルテは過ぎていた



Mezzoforte "Catching Up With" 1984

ここ数日で音楽/映像素材を複数入手した。そのチェックをした中での1枚。

音楽を鑑賞する時に、「時代性」というのを抜かして鑑賞することはできない。自分が青春時代〜青年時代を過ごしたのは、いわゆるバブル後期〜崩壊後の、抑圧された時代である。

中学時代に聴いていた音楽は、開局したばかりの J-Wave で流れていた曲。生まれて初めて買ったCDは、Don Henley の "The End of The Innocence" (1989年)の新譜だった。確かに、無邪気な時代は終わりに近づいていたのだ。

しかし、私が好んでいる音楽の多くは、自分が生まれた頃や、自分がまだ音楽を聴き始める前の1970年代〜1980年代初頭にかけての音楽である。

Mezzofrte(メッゾフォルテ)。アイスランドのフュージョンバンド。1982年にブレイクしたとのことで、私はまだ小学校低学年の頃。知っているはずもない。

Fridrik Karlsson (G)、Eythor Gunnarsson (Kb)、Johann Asmundsson (B)、Gulli Briem (Dr)、Stefan S. Stefansson (Sax)、Bjorn Thorarensen (Key)、Louis Jardim、Ron Aspery、Guy Barker、Ellen Kristjansdottir、Shady Calver、Bjorn Thorarensen

当時は勢いに乗っていたバンドなのだろう。その「勢い」が、良い意味でも悪い意味でも出ているような気がする。高度な音楽演奏技術を持っていることは間違いないものの、グルーヴ感が表面的で、先を急ぎ過ぎているような印象を与えてしまうのが残念といえば残念に思えてしまう。

ただし、そんな風に感じてしまうのは、単なる自分の好みとシチュエーションの問題だと思う。

今日は雨。午前中だというのに、少々薄暗い部屋でこれを聴いている。もしこれが、ジャケットの写真にあるような真っ白に広がる砂浜で聴いているのなら、それは最高の音楽だと思えるのではないかと思う。

時代はメッゾフォルテからフォルティッシモへ。そんな音楽の聴き方が自然とできた時代があったというのは、とても恵まれたことだ。自分はその時代に音楽体験をしていないが、自分が音楽を聴いていた時代の時代性は今でも自分の中でしっかりと息づいており、私はそれを噛み締めながら、前に進むことができている。

posted by 成瀬隆範 at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月16日

耳をすますキャンバス




山下洋輔 「耳をすますキャンバス」 1996

ここのところ聞いているアルバム。

山下洋輔氏の親友,松井守男画伯に捧げるソロ・アルバムであり、ジャケットの画は松井守男氏の作品。収録曲の多くはアートに関連した曲名となっている("Echo of Gray"、"Into Green"など)。

私は元々ソロピアノ、あるいはピアノデュオの作品が好きである。現在、自分自身でピアノの練習を始めているので、耳を肥やすためもあって、手持ちのソロピアノのジャズアルバムを意識的に聴くようにしている。

たぶん10年近く前に手に入れていたアルバムだが、しっかりと向き合って聞いたのは初めてかもしれない。当時ではわからなかった色々なことが、今はわかってくる様な気がする。

全体的にアメリカよりもヨーロッパを感じさせる。落ち着いて細やかな音のグラデーションをベースとしながらも、氏のエッセイ『新ジャズ西遊記』に見られるような、強烈な、どこか崩れたような個性もしっかり織り交ぜられている。

個人的には、4曲目の "Splashes on Palette" タイプの曲が引けるようなピアノ弾きになってみたいと思っている。例えば、Mal Waldron のアルバム "All Alone
" の中でも、"If You Think I'm Licked" のような叩き付ける弾き方に魅力を感じてしまう。

その一方で、10曲目の "Into Green" のような、繊細な音の罪重なりと、間のコントラストが活かされた曲も、自分の惹いてみたいと思うピアノスタイルであり、結局、自分の好きなピアニストは、「強烈さ」と「繊細さ」の虜法が際立っている人、ということになる。

結局は両極端なものを同時に見てしまう、という昔からの自分のものの見方が、ただ反映されているだけなのだが。

最近、昔よく呼んでいた本を読み直している。たぶんまた、今までの自分の流れをまとめて、はっきりとした形にしたいという欲求が強くなってきているのだと思う。
posted by 成瀬隆範 at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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