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2008年08月28日

白黒写真、それが

雨の夜、外に出かけるためにどうしても聴きたくなったのは、Chet Baker だった。

Portrait of Black & White が、色付いていくのが、見たかった、ただそれだけの理由。

多分それは、昼間観た Scarface が、充分に生々しく、しかも退廃的だったからだと思う。
posted by 成瀬隆範 at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 考える。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月27日

「私は歌を歌います」

仕事から帰って ワインを一杯
靴を脱ぎ捨てて あなたを待つの
明け方を過ぎても あなたは来ない
私のどこが 悪かったというの?

私は眠り あなたがこっそり入ってくる
私は気づかなかったのよ その時まで
あなたの匂い 私のものじゃない 誰かの
あなたは また どこかへ行っていたのね

-----

今日の和訳。Lisa Stansfield の I'm Leavin'。別れの曲。

歌を歌う、などということは、人間という種に属していれば、誰にだってできることだ(身体機能に障害がなければ)。そんな誰にだってできる、当たり前のことを取り上げて敢えて自ら「私は歌を歌います」「私はボーカルです」と公言するのであれば、歌には高いクオリティが求められるのは、当然のことだと思う。

先日、米軍横田基地の年1回の友好祭(一般人が敷地内に唯一入れる日)に行ってきた。土砂降りの雨という不愉快な天候の中、わざわざ出かけていったわけだ。

格納庫の中のステージで最後に出演したのは、知り合いのバンドが出演した後に、空軍所属のメンバーによるバンド演奏があった。さすがに上手い。友好祭、ということもあってか、数曲日本の曲を演奏した。ちゃんと日本語の歌詞で歌った。しかも、ネイティブに限りなく近い、ほぼ完璧な日本語の発音。

「私は歌を歌います」と公言しつつ、英語の歌詞を適当に処理して歌っているボーカリストはとても多い。英語が母国語のボーカリストが完璧に近い日本語の歌を提供してくれたのである。日本語が母国語のボーカリストが完璧に近い英語の歌を提供できないはずがない。

わたしはそれが、敢えて「ボーカリスト」を公言する人間としての、相手の国の文化に対する最低限の礼儀だと思っている。「ボーカリスト」としてのプロ意識があれば、発音の悪さなど、かなりの部分まで克服できるはずだ。

それができないのであれば、その人の「ボーカリスト」の才能がそこまでだった、ということだ。私も「歌を歌います」と公言する一人である以上、常にプロ意識は持っている。だから、そのような厳しさは常に保っていきたいと思っている。



posted by 成瀬隆範 at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

たった今、ひとつの恋愛を終わらせたばかりのように

だって あなたは私に 与えてくれる
こんな気持ち 私にはわからないような
あなたは 私に 与えてくれる
それは もう二度と 見つけられないような

愛して そして 生きている
ねえ これ以上 何を望めばいいの
もう二度と 恋をすることはないでしょう
あなたが 私に 与えてくれる
もっと もっと そして
私はもう 探さない
もう二度と 恋なんてしない

-----

もう いやな思いなんてしない
もう 逃げたり 隠れたりしない
もう あんな嘘を ついたりなんかしない
それはもう ずいぶん昔のこと

もう 束縛されたりしない
もう 気にしない 人がなんて言おうとも
心の中に 抱えてても 意味がないじゃない
触れた指先が熱い 火の中に 飛び込んでしまいたい

-----

久しぶりに、英語歌詞和訳をしてみた。曲は、最近ヘビーローテーションしている、Lisa Stansfield の "Never Gonna Fall" と "Real Thing"。

実は、和訳をするのには、とても大きな精神力が必要となる。なぜなら私の和訳のコンセプトは、CDの歌詞和訳にありがちな堅苦しい和訳ではなく、読み上げて美しく、男でも女でも、読んだ人が共感できるように、細心の注意を払って和訳をするからである。

和訳をする度ごとに、私は、歌詞の通りに喜び、悲しみ、恋をせざるを得ないと言っても過言ではない。そうでなければ、自分の納得いく和訳ができないのである。男のボーカリストの歌であれば、私はその内容通りに恋愛をし、女のボーカリストであれば、私はそこに出てくる男と同じように、その女の人と恋愛をしている気分で和訳を行う、ということになる。

それは非常に疲れる作業である。和訳をする、という作業自体には肉体的な疲れは伴わないとはいえ、ひとつの楽曲の和訳を完成させるころには、私の精神が大きく疲弊してしまうのだ。まるで、たった今、ひとつの恋愛を終わらせたばかりのように。

今日も、また。「恋は盲目」などという陳腐な言葉を使うまでもなく、人がどれだけ人を好きになれるものなのかを、今ではもう知っている。



posted by 成瀬隆範 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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