Smoke Stings Studio




クリスマスソング歌詞和訳集 "
It Came Upon The Midnight Clear" 追加しました。
クリスマスソングを訳しているといつも、日本人というのは、つくづく人の信仰というものを踏み躙り、冒涜しているなあ、と思います。Smoke Stings Studio に掲載しているクリスマスソングや賛美歌で、恋人たちの性行為を演出するための曲など1曲もありません。今回訳した曲もそうですが、人間が苦しんでいる世の中を思い、それをキリスト教の神と天使そして歌で和らげようという作詞者の慈愛が見て取れます。
だから、「クリスマスは一人だと寂しい」なんていうのは、大いなる勘違いなのではないでしょうか。クリスマスというのは、「一人ではいられない日」なんですよ、たぶん。どんな境遇の人でも、神の慈愛とキリストの生誕を祝うことで、「みんなと一緒にいられる日」なのではないでしょうか。私はキリスト教徒ではないので本当のところはわかりませんが、今まで訳してきたクリスマスソングや賛美歌の歌詞の内容からは、そのようなものを感じています。
世界の大勢の人が心の底から自分たちの信仰の記念日を祝っている中で、その他大勢のやっていることから自分が外れてしまうことにびくびくしながら、企業が金を稼ぐために打ち出した広告とイメージ作りの言いなりになって、本来自分の信仰や信条とは何も関係ないクリスマスのイベント性に便乗しするような、人の「信じる心」を踏みにじる行為を行うのは、とても悲しいことだと思っています。
自分の愛する人の誕生日を汚されて、不快に思わない人がいますか?敬虔なキリスト教徒は、自分の妻や恋人と同じように(あるいはそれ以上に)、神を愛し、キリストを愛している筈でしょうから。
私自身はキリスト教徒ではありません。
宗教や世界観の論文を書いていても、特定の宗教を信じていたりしているわけではありません。それでも、私は、彼らの気持ちと信仰は尊重したいと思います。人の信じる心を踏みにじりたくはありませんから。
私がクリスマスソングや賛美歌を和訳するのは、これらの歌が慈愛に溢れ、人間の喜びに満ちているからです。誤解されたくはないのですが、私は雰囲気としてのクリスマスは大好きなのです。なぜなら、それは本来家族の幸せを願い、みんなの幸せを願い、みんなの平和を願う心に満ちているものですから。
以前このブログに
こんな記事や
こんな記事こんな記事を書いているのですが、今でもその気持ちは全く変わりません。
不況だとかなんだとか言いつつも、この数十年の日本は一向に精神的なバブルが治まる気配が見えません。貧しく、立場の弱い人間から搾り取ってこそ、他人を差し置いて自分が金を稼ぐことが出来るのだということを、理解している人間がどれだけいるのでしょうか。日本人でいる限りは世界の中のかなり裕福な一部分を占めることになるのです。つまりそれは、他の国や文化から搾り取った財力で我々が生きているということになるのです。
だから貧乏になれ、とそういうことではなく、私はこう思っているのです。
「金をかけるなら、それに見合うだけの価値を生み出せるものにかけろ」「金をもらうなら、それに見合うだけの価値を生み出してからにしろ」と。
もちろん、人間だから四六時中そんなことばかりやっていたら精神が張りつめ過ぎて気が休まらないでしょうが、基本的な考え方はこうあるべきなのではないかと思っています。個人的には。
正直、私にとってキリスト教は「なじみのない思想(宗教)」です。それでも、私が信じるものとは異なるものを信じている人間が、慈愛に満ち、世の中の苦しみを憂い、それが改善されることを信じているということに、クリスマスソングを訳す度に感動を覚えるのです。
言葉は大きな力を持っています。人を傷つけることもできるし、守ることもできます。傷つける言葉は、大きな力を一瞬で発揮しますが、相手を傷つけると共に往々にして自分自身も傷つけてゆくために、長く続くことはありません。人を守る言葉は、たとえ小さな力しか持っていなくとも、繰り返し積み重ねてゆくことで、最終的には人を傷つける言葉より大きな力を持ちうることが出来ます。私はそう信じ、コンピューターという言語だらけの世界で(画像や動画でさえ、左上から右下に向かって流れてゆく「言語」をベースに動いているのです。ここ10年ほどのコンピューターは、それを擬似的に視覚化する技術によって成り立っているに過ぎません)、言葉を操り続けたいのです。