最近、『
人間交差点』をひたすら読み返している。大学時代に出会い、強く影響を受けた漫画である。あまりにも影響を受けたために、自分の
卒業論文の結論部分の最後は、この漫画のとある話から引用した言葉「蒼き季節の果てにて空白なる紙を前に坐る。綴るには遙に多き量にて、わずかな人生にても我等ゴミにあらず。人でありしことに愕然とする。」で締めくくってしまったくらいだ。ちなみにこの
卒業論文、「専門書や学術書を使用せずに卒業論文としての高いレベルを保つ」というコンセプトで書いたものだ。
参考文献の最後には本来とある社会学者の書いた文献が載せられていたのだが、実のところ、最初の3ページくらいしか読んでいなかったので、ウェブ掲載を行う際に、嬉々として削除した。「嬉々として」削除した理由は、当時の担当教官に「社会学を学んだのに、社会学者の文献を使用していないのはまずいだろう」と言われて仕方なく形式的につけ加えたという経緯があり、それは私にとっては実際どうでもいい文献であったからだということと、まさにその時、形式と体裁を維持しようとする学問の世界の馬鹿馬鹿しさにつくづく呆れ返ったから、というものである。
さて、『
人間交差点』だ。私の持っているのは文庫版。ちょうど漫画文庫の出版ブームの頃に買ったものである。今日はその11巻を読んでいたのだが、改めてそこに収録されていた話の中の言葉に、自分がどれだけ影響を受けていたかをつくづく痛感した。
それは、「荒地の温もり」という話の最後に出てくる言葉である。話の内容は、経済アナリストとしての成功を勝ち取った男が、ちょっとしたことがきっかけで15年前に犯しずっと隠していた殺人の罪を知る女と出会ってしまい、罪の意識からずっと幸せの空しさを感じ続けていた自分を悟り、自首することを決意するというものである。そして、私が感銘を受けたのは、最後に主人公が言い放つ、次の言葉である。
「後悔はするだろう。苦しむとも思う。人間だもの、当たり前じゃないか」
今思えばこの言葉が、基本的にはマイナス思考だった私がそれをプラスに転換できる支えとなってくれたものであることに、間違いはないであろう。
私は今まで生きてきた様々な時期に、様々なものから深い影響を受けた。
Smoke Stings Studio 内のプロフィールにも詳細に記載されているのだが、私は小学校の頃には『
ブラックジャック』に強く影響を受けた。私が黒を中心にして服装を整えてしまうのは、明らかにその影響だ。それからこれは指摘されて気付いたのだが、生徒に対して「お前さん」と言ってしまうことがあるのも、この影響かもしれない。
その他も様々なマンガや書物に影響を受けているのだが、ひとつ言えることは、いわゆる文学作品からは大して影響を受けていないということだ(詳細は
Smoke Stings Studio 内のプロフィール参照)。一応、これには理由らしき理由があるのだが…。
文学作品に学ぶべき素晴らしいことが書かれているのは当たり前だ。文学作品自体に、大きな価値が存在するのだから。しかし、いわゆる学問の世界で評価をあまりされていないようなものから、大きな価値を引き出すことができたとしたら、それは、自分自身の力ではないのか?一見価値の低そうなものに対しては、自分自身で価値を付加してやれば、それは自分の手柄ではないのか?誰もが良いと認めるものだけから安易に影響を受け続けるよりも、多くの人にはあまり認められないようなものに価値を見出し、自分自身を深めてゆくことができれば、それはその人が優れた感性を持っているということに、他ならないのではないだろうか?
大学時代、教官たちや学生たちの言葉は学術用語と専門用語にあふれ、オリジナリティなどほとんどなかった。学術用語も専門用語も、ナンタラ理論もナンタラ派も、全て他人が作ったものに過ぎないではないか。それをただ並べ替えてまるで自分の言葉であるかのように言い立てる人間ばかり多く、実のところ、私は大学という権威主義を厭い、大学を辞めたくて仕方がなかったのだ。結果的には、大学卒の肩書きをつけることの有用性を理解していたので、なんとか卒業だけはしたのだが(大学を卒業していなければ、今の職場では働けなかっただろう)。
専門用語を多用し、理論と権威で悦に入っていたどの教官も学生も、「後悔はするだろう。苦しむとも思う。人間だもの、当たり前じゃないか」というたった30文字程度の言葉以上に、私を動かすことはできなかったのだ。いや、実のところ、私は教官や学生の言葉には、少しも動かされたことがなかったのだ。彼らの言葉は過度に権威と形式に彩られ、あまりにも気障で醜悪だった。
だから私は、本来学問的な論文を書くのには相応しくない
参考文献を主に使用して
卒業論文を書いたし、自分の担当する英語の授業でも、言語を学ぶのに文法用語などは基本的に不要だと、平気で言い放っている。引用や専門用語の多い日常会話をする人間は基本的に評価しないし、信用もしない。
私が中学校の頃、単なるファンタジー小説である『
ドラゴンランス戦記』の裏に流れる思想に感銘を受けて以来15年、私は以上のような考え方でずっと一貫して生きてきている。知識や論理で自分を取り繕う人間など、すぐにわかってしまうのだ。
私は、基本的に人をほめない人間だ。その理由は、ほとんどの人間が自分の感性だけで勝負するのではなく、安易に自分以外の力に頼ろうとしているからだ。知識や流行、学問などは、私にとってはその「自分以外の力」に値するのである。私が人をほめるとき、それはそこに難しい理論などなかったとしても、自分でつかみとった何かを相手が繕わずに出してくる時である。
「後悔はするだろう。苦しむとも思う。人間だもの、当たり前じゃないか」
はっきり言って、クサい言葉だよ。でも、他人から借りた言葉で自分を飾り立てようとしている奴の吐く胡散臭い理論など足元にも及ばないほどに本質を言い当てた、それでいて短くすっきりした、実に潔い言葉だと思っている。