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2004年12月31日

トップページ更新(正月仕様)

 ロゴ Smoke Stings Studioトップページを正月仕様に変更しました。まだ年明けまでは7時間ほどありますが、年度切り替わりの時間帯は回線が込み合う可能性が高いので、今やっちゃいました。

 これが本年度最後の更新です。来年もよろしくお願いいたします。
posted by 成瀬隆範 at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 更新日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

美術関連リンク「ネパールに眠る娘へ」

 毎日放送のサイト内に開設された「VOICE」というコーナーをここ数日、読み進めています。美術関連の話題があったので、記録も兼ねてリンクしておきます。1年ほど前の記事です。

 「ネパールに眠る娘へ」(毎日放送サイト内)

 「作品を作り出すこと」が「金を稼ぐこと」と結びついていないと我慢できないような人も多いようですが…。

(当ブログ内参考記事)
 ひとつの区切り

 私自身は、こういう考え方です。
posted by 成瀬隆範 at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月30日

程よい加減で出してゆく

 ちょいと大学の論文書きなどをここ2・3日手伝ってました。久々に頭を使っていい刺激でした。

 多分、私が最高潮に頭を使って色々考えていたのは、大学の卒業論文を書いていた時です。あれ以来もう6年くらい経つけど、あの時ほど「思考ゲーム」に入れ込んでいる時期はなかった気がします。今はだいぶ力を抜いて考えるようになりました。それと同時に、あの時の思考のパワーが今ではもう出せなくなっているということもなんとなく実感しています。

 でも、私自身は、そのことを衰えだと思っていません。一生懸命やるパワーは大事なものですが、端から見ていると、それを刺々しく感じてしまうことも多いのだな、ということがなんとなくわかってきました。「だらける」という意味で力を抜くのではなく、自分の持っているパワーの刺々しさを抜いてゆくことが成熟であり、「色気」や「味」なのではないかという気がします。

 年末年始のために、ピーター・フォークの「刑事コロンボ(Vol.1〜3)」を借りました。で、このピーター・フォークの演技を見てて思ったわけです。刑事コロンボは実は相当に勘も鋭く頭の良い人間だけど、この人がその頭の良さや勘の良さをそのままさらけ出してしまうような人だったら、多分魅力が半減してしまうんだろうな、と思います。そういう「内に秘めたものを全て出してしまわないこと」を演じきってしまうピーター・フォークは凄いなあ、と思います。

 全てをさらけ出してしまうのではなく、所々をカットして程よい加減で出してゆく。それを学び取ることは、なかなか難しいですけど。

 私はここ数年で、力を出し切ってしまわないことを覚えるようになりました。ほとんどの場合、いつだって余力を残した状態でいろいろなことができるようになっています。もちろんそれは、手を抜くとかサボるとかではなく、要求される水準を遥か超えたところでまだ力が残った状態でいられるようにしてはいるのですが。

 もっとも職業柄、意図的に力を出し切った状態にすることも多々あります。あるいは、半ば意図的に刺々しいまでの力を出してしまったりとか。このブログなんか、ちょっとそういう側面があるんですけど。どうもすみません、刺々しくて。私にとってはこのブログは実験的な意味合いが強いので、最初のうちに色々出し切ってしまって、後でそれを柔らかく整理していこうかと思ったりしているわけです。ちょっと前の記事には「生を強烈なものにするための死」なんていやあな書き方してたりします。自分で読んでて、刺々しく感じます(恥ずかしく感じてもいます。修正はしませんけど)。もっとも、あの記事は半ば語りかけるような気持ちで書いたものなんですが。

 気に病んでいたことも少し落ち着いたので、気楽に年末を迎えられます。よかった。
posted by 成瀬隆範 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリスマスソング 歌詞和訳集インデックスページデザイン変更

 クリスマスソング/賛美歌和訳集のデザインを変更しました(今更)。

 大した変更ではありませんが、前より見栄えはするかな、と。…自分で勝手に思い込んでいます。本年度も、もう明日を残すのみですね。

 昨日までは仕事が忙しく、あんまりまともに更新できませんでした。今日からは年末年始で忙しくなく、ゆっくりしたいから、あんまりまともに更新できないでしょう、と、変な予告。
posted by 成瀬隆範 at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 更新日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月28日

ジャズスタンダード "My Buddy" 追加

 英語歌詞和訳集 ジャズに "My Buddy" を追加しました。

 "Buddy" は「男友達」を表す表現です。この歌は、男同士の友情を歌った曲で、現代の感覚(特に平和慣れした現代日本人の感覚)からすると、「…ホモ?」と思ってしまうような表現で書かれています。ただし、この曲が書かれたのはずいぶん古く(1922年)、この時代の周辺ではイタリアのムッソリーニが政権を取ったり、アドルフ・ヒットラーが活躍をはじめていたりと、時代もかなり不穏な方向に傾きかけていました。また、アメリカでは禁酒法が始まったばかりの時代でもあり、マフィアがかなり暗躍していたものと思われます。銃器社会アメリカのことですから、このような時代には下手をするといつ死んでもおかしくないような状態にあったのかもしれません。遠く離れてしまった友人が、もしかしたら、今この瞬間にも死んでいるかもしれない。暗鬱とした時代の中で、一緒に語り合い、行動した友人を男同士懐かしむという純粋な気持ちが、この歌に込められているのかもしれません。

 私は戦争には反対ですが、「厳しさ」のない社会環境が、人間を駄目にすることも十分承知しているつもりです。例えば自分の目の前にいる相手とはもう二度と会えないのかもしれないと思う時には、一緒にいる時間を最高のものに高めようとしてお互いに思いやるのではないでしょうか。もう二度と会えないという気持ちで、今この瞬間を最高のものにしようとする。一期一会の心境というやつです。

 以前、こういう話を聞いたことがあります。クラシック音楽の世界において1920年代には、最高と呼べる指揮者が数多くいたそうです。この時代には録音機材もなく、クラシック音楽は金持ちの娯楽でしたので、本気で指揮者になることを志す人間は、自分の接することができるコンサートのひとつひとつと真剣に向き合い、少しでも自分の指揮に活かせるものを学び取れるように、真剣に音楽に耳を傾けたということです。振り返って現代では、たとえ1回のコンサートを聞き逃したところで、CDもある、ビデオもある、後で確認できるということで、ひとつひとつのコンサートに接する際の真剣味が無意識のうちに薄れてしまっているということなのです。

 例えば落語家においても、昔は師匠は弟子に対してたった3回しか稽古をつけてやりませんでした。封建的な感覚の支配する落語界のこと、弟子は師匠に逆らうことはできず、たった3回しかつけてもらえない稽古に、真剣に接したことでしょう。ちなみに、今はそのような慣習も薄れ、稽古の際に録音機材を持ち込むことも当たり前だし、大体、探せばいくらでも落語の録音音源などは購入することができます。しかし、落語界は現在、「今後名人は生まれないだろう」と言われてしまうほどレベルが低下しているようです。資料にできる音源や書籍も多いこの時代に、おかしいと思いませんか?

 理由は単純です。一期一会の精神が足りないのです。音楽においても、落語においても、あるいは他の世界においても、ひとつのことが駄目だったら、他のことに移ることができてしまうほど、世の中に情報とモノが溢れすぎているのです。

 例えば戦時中、食料も無い、絵の具もない、世間からは非国民と言われ、役立たずと言われ、それでも絵を描かずにはいられなかった芸術家たちがたくさんいたはずです。抑圧されながら、入手困難だったり、残りの少なくなった画材を最大限に活かそうとして工夫を重ね、苦しみながらも、それでも絵を描くことを止められなかったほど「空白を埋めようとしてきた人たち」。そんな芸術家たちに、現代の、下手をすれば、「これはアートだ」と宣言すればどのようなものでもアートとして一般に取り扱われてしまうような時代(アートとしての正当な評価を受けるかどうかは、全くの別問題です)の、「かっこいいから」アートをやるような人たちが、追いつくことができるのでしょうか。

 現代においては、情報量が多い分だけ、素晴らしい本質を持ったものが圧倒的な情報量を元にして生み出される可能性も高まっていますが、実のところ、それ以外の大部分はかなり質が悪いものに占められてしまっています。あるいは、情報量が多い分だけ、ただ単にそれを組み合わせてしまえば、それなりに見栄えのするものが作れてしまうのですが、それは「あたりさわりがなく」、結局は使い捨てで終わってしまうレベルのものなのです。

 "My Buddy" は、80年前の歌です。CD紹介の欄に掲載した Chet Baker のアルバム "Sings" は、1954年の録音です。"My Buddy" は、少なくとも30年間生き残り、「名盤」と呼ばれるアルバムで、新しい命を吹き込まれています。そして80年経った現在でも、「ジャズスタンダード」と題名のついた本に依然として収録されています。

 今から30年後。自分の作り出した物は、果たして、残っているのでしょうか。自分は、30年残り続けることができるような素晴らしい本質を持ったものを、作り出すことができるのでしょうか。一度作り出したら、もう、二度と作り出せないかもしれない。この作品を作り終えた後には、たとえ死んでしまっても後悔はしない。それほどの真剣味を持って、何かを作り出すことができるのでしょうか。

 寿命によらずに命が絶たれてしまうことには、私は絶対に反対です。自殺をする人間を、私は決して許すことがないでしょう。どんなに苦しんでいたとしても、絶対に生きていてほしい。どんなにブザマだったとしても、生きてゆくことの強烈な光は、必ずどこからか漏れてきます。それでも、死を意識せざるを得なかったような時代に、素晴らしい本質を持った作品が生み出されています。

 私は、「死」を賛美することはありません。それでも、「生」を強烈なものにするために、「死」を意識することの意義は理解できるつもりです。
posted by 成瀬隆範 at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 更新日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ラップには愛情があるのだろう。では、日本語には?

 ちょっと前までは日本人の女性ミュージシャンのCDを聞きまくっていたのだが、最近は HipHop 系の音楽を聞きたくてたまらない時が多い。で、いつも HipHop を聞いていると思うことなのだが。

 日本人のラッパーたちは、黒人の文化に対して憧れ、ラップに対しては間違いなく情熱を注いでいるのだと思う。リリックを見る限りでは、韻を踏むためにかなり幅広い分野の言葉を使用して工夫をしている。これは、非常に好感が持てることだと思う。語尾に「〜さ」とつければラップになるよ、などという程度の認識だった時期もあったようだが、少なくとも、それに比べれば、遥かにマシになったとは思うのだ。

 ただし、実のところ、私はこう思うのだ。

 彼らは、ラップには愛情があるのだろう。では、日本語には?

 先日も書いたが、日本人のラッパーの多くは韻を踏むことにはかなり長けているものの、日本語のリズムや発音という視点から見ると、かなりめちゃくちゃなのだ。英語のリズムに無理矢理日本語を乗せて歌っているから、正直、聞いていてかなり不満に思ってしまう。日本語を愛し、徹頭徹尾日本語の発音を守った上で日本人の持つリズム感に乗せてラップをしてみたら、どうなるのだろう。

 多くの日本人ミュージシャンは英語の歌を歌うときに、無意識のうちに日本語のリズムに乗せて英語を歌ってしまっている。歌唱力を持っている人がそのような状態だと、特にその発音とリズムのいい加減さが目立ってしまい、期待感が大きい分だけ不満も大きくなってしまう。私は、日本人のラッパーたちに、その状態と全く逆の不満を感じる。

 黒人文化に対する愛情が深い分だけ、日本語のリズムと発音を軽視する態度が見えてきてしまう。私は、日本語を心の底から愛することのできるラッパーを見たくてたまらない。文字は表音文字(例:アルファベット。発音だけを表す文字)と表意文字(例:漢字。文字ひとつひとつに意味がある)があるが、その両方を同時に使いこなしている言語を、私は日本語以外に知らない。私は日本語を、「凄い言語」だと思っている。

 もっとも、私も実は、あまり偉そうなことはいえない。私は職業として英語を教えているが、それは英語を愛しているからではない。そこに気づいている生徒もいることだろう。私が英語を学ぶのは、英語の感覚を自分の思考法に取り入れることで、考えを深めることができるからだ。その意味では、私は本来英語教師にはふさわしくないのかもしれない。もっとも、私の存在意義は、「たとえ英語が心の底から好きではなかったとしても、英語に面白みを見いだせれば英語力は上がる」ことを身をもって証明しているところにあると、個人的には思っている。
posted by 成瀬隆範 at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月27日

とある生徒が

 端から見てたら、私の目つきが怖かったそうです。

 …知ってるつもりだよ。いろんなもん見ちゃうし、いろんなこと考えちゃうから。もっと気楽でいられたらいいんだけど。

 
 
posted by 成瀬隆範 at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月26日

ジャズ歌詞和訳集 "Chicago" 追加

 ジャズ歌詞和訳集に "Chicago" という曲を付け加えました。Frank Sinatra の歌唱で有名な曲のようですね。シナトラは映画 "God Father" に出てくるマフィアの息のかかった歌手のモデルともいわれているらしいので、歌詞の中にあるように Billy Sunday (酒とギャンブルの罪を説いた牧師)をおちょくったこの曲を歌うにふさわしいのかもしれません。もともとは、"The Joker Is Wild" という映画の主題歌で、この映画にはシナトラも出演しているとのこと。

 私は酒は作った人の心意気を味わって飲むものだと思っているから酒には溺れないし(というか、ほとんど飲まないのですが)、ギャンブルで金を賭けて運を試すくらいなら、自分自身を賭けて自分の実力を試してみたくなるクチなんで、こういう場末の街の独特の雰囲気は頭の中でしか理解できませんが…。そういえば、さっき他のブログ(正確には日記)を読んでいたら、酒は「微生物の持つ不思議な力によって作られた芸術品」って書いてありました(零細企業経営者の闘魂日記より)。そこに、人間の情熱と心意気が加わり、素晴らしい酒ができるわけです。酒はいわば、人間の情熱と微生物の実力の共同制作品ですね。飲み散らかすなんてもってのほかです。
posted by 成瀬隆範 at 01:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 更新日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月25日

久しぶりに授業です。

 今から仕事です。久しぶりの授業です。喉はなおりきってない。大丈夫だろうか。

 ちなみに。

 昨日、最寄り駅近くの中古CD屋(というか古本とゲーム屋)で、2000円余にてCDを8枚購入。大体は安くてあたり前のものだが、なぜか Soul II Soul の "volume III just right" が 300円だった。安過ぎ。こんなものなのだろうか、Soul II Soul。そういえば、Mondo Grosso のアルバムで、思いっきり Soul II Soul してるやつがあった気がする。Jazzie B はいいですねえ。

 で、聴こうかな、と思った時間にはもう出勤ですよ。行ってきまあす。
posted by 成瀬隆範 at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロゴデザイン追加

 昨日トップページのロゴ画像をサンタクロースに変えましたが、ロゴデザインのページを独自に作っていたことを思い出しました。と、いうわけで、ロゴデザインのページにサンタクロース版ロゴマークを追加。大した更新の内容ではありませんが…。

 SSSロゴ

 個人的には、キリスト教徒ではないのでクリスマスは別にどうでもいいのですが、クリスマスソング/賛美歌和訳集なんてコンテンツを運営してしまっているので。まあ、別にクリスマスを毛嫌いしているわけでもないから、いいか、と。

 ちなみに、クリスマスが好きでないのなら、なぜクリスマスソングの和訳などやっているかというと、これは最終的に ロゴ Smoke Stings Studio が目指す方向性のための、ひとつの布石に過ぎないのです。どうも発想ばかりが先行して、はっきりって自分一人では手一杯になってしまっています。
posted by 成瀬隆範 at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 更新日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月24日

期間限定サンタ

 本ブログとロゴ Smoke Stings Studio のトップページロゴ画像がサンタクロースになりました。
posted by 成瀬隆範 at 11:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 更新日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

油彩画家三澤寛志 特集ページ更新

 油彩画家三澤寛志の特集ページ第3弾をアップしました。本来は ロゴ Smoke Stings Studio の中のコンテンツではありませんが、作成を担当しているので、こちらで宣伝いたします。

 ロゴ Smoke Stings Studio油彩画家三澤寛志 も、ロゴ Ace Art Academy という美術大学受験情報サイト(こちらの更新はかなり滞っています…。すびばせん)の一部で、そのロゴ Ace Art Academy を運営/管理しているのが、私なのです。
posted by 成瀬隆範 at 11:15| Comment(0) | TrackBack(1) | 更新日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリスマスソング "Winter Wonderland" 追加

 英語歌詞和訳集クリスマスに "Winter Wonderland" を追加しました。

 これで、本年度のクリスマスソング和訳も一段落かな…。

 今日久々に仕事場に行った時、同僚から "Christmas" の語源について聞かれました。ラテン語が絡んでいそうだから、英語の知識では答えられそうにないかな、と思って正確には答えなかったのですが、「キリスト+マス(大衆:マスメディアのマス)」かな?と勝手に想像して、家に帰ってから調べてみたら、なんだ、合ってるんじゃん。ただし、どちらかといえば「キリスト+ミサ」という感じらしいですが。ラテン語での「ミサ(missa:カトリックの聖体拝領)」は現在の英語で使用している「マス(mass:集団、大衆の意味)」と同じ意味の言葉のようです。

 言葉の成り立ち上は、みんな(mass)でキリスト(Christ)の生誕を祝うのがクリスマス(Christmas)です。商業主義に毒されたプレゼント交換と恋人同士の記念日ではありません。

 ちなみに、私は他の人とはあまり宗教についての話をしないように心がけています。なぜなら、宗教にはほぼ必ず分派があり、細かい宗派の違いによって考え方や聖典の解釈の仕方が全く違ってくるからです。自分が知っている宗教についての情報を相手に提供したとしても、それはほとんどの場合は特定の一派の解釈について言及しているだけで、別の一派の人から見ればそれが間違った解釈とされてしまうことも多いからです。あるいは、歴史上のどの時代の解釈を適用するかでも、あるいは国ごと、民族ごとでも解釈が違ってくることがほとんどです。

 私は卒業論文を宗教を題材にして書きましたが、あくまでもそれは「私自身が宗教をどう解釈しているか」を書き綴ったものであって、「歴史的にあるいは学問的に正しい解釈をしている」つもりは毛頭ありません。と、いうか、歴史の始まりから終わりまでを直にこの目で見ない限り「歴史的にあるいは学問的に正しい解釈をする」ことは不可能です。

 学問というのは、決して「正しいもの」ではありません。全ての学問は、人間が作り出した壮大な小説の一部分のようなものです。学問自体を歴史として学んでみれば、多くの「正しかったはずの」学説が次々と覆ってきたことがわかるはずです。つまり、今現在学問上で「正しい」とされていることは、将来覆されてしまう可能性を十二分に持っているわけです。ただし、科学的考え方というものは「再現可能(あるいは証明可能)」であることを前提にするために、証明不可能で見ることのできない精神性に重きを置くような「宗教」と呼ばれる世界観よりもより正確に事象が把握できるという性質を持ってはいますが。

 「〜派」とか「〜論」とか「〜教」とか、どれがその中で「正しい」とか、そんなことは、私にとってはどうでもいいんです。世界に様々なものの考え方があって、時代や地域や民族によって、それぞれが異なった性質の世界観を持っている。それがすごく素晴らしいことのように思えたから、私は卒業論文で宗教と世界観を扱ったんです。人間は、こんなにいろいろな考え方ができるじゃないか。こんなにもいろいろな世界観があって、こんなにもいろいろな視点で世界を解釈できるじゃないか。たとえひとつのやり方で行き詰まったとしても、別のやり方で先に進める可能性を持っているじゃないか。そう考えて、人間の持つ可能性の壮大なスケールに感動していたんです。

 でも、現実世界では「〜派」とか「〜論」とか「〜教」とか、いつもケンカして、戦争して、殺し合って、醜さをむき出しにして…。自分の解釈を正当化する一方で他人の解釈の隙間を突っついて貶めていって…。なんて小さく、醜いことばかりやっているんだろう。

 美術と料理には共通する点がある?違う、そうじゃない。文学と心理学には共通する点がある?違う、そんなんじゃない。全てが同じもので、そのたったひとつのものを、別々の視点から見ているだけじゃないか。その視点のひとつひとつに「美術」とか「音楽」とか「法学」とか「経済学」とか、そうやって名前をつけているだけじゃないか。

 「いろいろな視点でものを見る」なんて、全ての学問に共通している重要な要素なのに、なんで、自分の志す分野が「ひとつの視点」で、別の分野が「他のもうひとつの視点」であると解釈できないんだろう。自分の志す分野以外のものを全く違う性質を持ったものとして認識したら、もう、そこでわかり合うことが難しくなってしまうというのに。

 ちょっと考え方を変えるだけで、本当は、誰だってわかり合うことができるはずなのに。
posted by 成瀬隆範 at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 更新日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月23日

AU INFOBAR 写真集「夜光」追加

 AU INFOBAR 写真集「夜光」11-20 追加しました。

 クリスマスが近いこともあり、10枚ある写真の後半はクリスマス特集です。

 私の INFOBAR もそろそろだいぶヤレてきました。>AU INFOBAR 写真集の中で「夜光」カテゴリーは中々写真も良いものが撮れないので、もしかしたらこれが最後の更新になるのかもしれません。「白昼夢」カテゴリーに関してはまだまだ更新できそうですが。Talby にちょっと期待していたけど、結局がっかりして機種変更はしなかったので、当分はまだ INFOBAR を使ってゆきますが。
posted by 成瀬隆範 at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 更新日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月22日

記憶の中の李白

 李白。周知の通りの唐代の詩人だが、ここでいう李白は、それを指すものではない。神田神保町にある喫茶店だ。いや、正確には、神保町にあった喫茶店である。

 今日は、かなり久しぶりに書店の街神保町に行ってきた。地下鉄の駅を出てから奥野カルタ店に向かう途中で、久しぶりに「李白」に立ち寄ろうと思って、大通りを外れて裏路地に入ってみた。大通りの喧噪を少しだけ外れた止まったような空気の中で、いつもあるはずのものがなかった。喫茶店「李白」の行灯である。

 胸騒ぎ。走りたいような気持ち。しかし、連れがいたので、表面上は平静を装って近くまで行ってみる。ガラス戸が閉まっている。直感的に、その向こうにはもう誰もいないということを悟る。

 思えば、父がこの店を教えてくれたのは、強い太陽の照りつける夏の日だった。古本と喫茶店巡りが好きな父が、「いい店があるんだよ…」。普段はほとんど一緒に行動することのない父と私は、一緒に飯田橋の駅から歩いて「李白」に入っていった。陶器の飾られた薄暗い店内、ガラスのティーカップに入ったアイスティーを、今でも覚えている。

 考えてみれば、あれからもう10年近くも経とうとしているのだ。10年ひと昔。喫茶店のひとつくらいなくなっても当たり前である。そもそも父とは違って喫茶店をほとんど利用しない私にとっては、たとえ喫茶店がなくなったところで何も困ることはないのだ。ただ、私が行く神保町にはいつだって裏路地に「李白」という素晴らしい雰囲気の喫茶店があって、たとえそこに行かなかったとしても、「李白」は常に私の中で「神保町」の一部を成す、なくてはならない存在だったのである。

 数年前から、再開発が進んでいる地域である。事実、その後神保町を巡ってみたら、なくなってしまった書店も数軒あったようだ。新しい店舗が入っている場所もあった。しかし、それはあの街にはふさわしいものではない。新しくできた店舗のほとんどは、大資本によって店舗数を拡大している大手企業の支店に過ぎないのだ。そんな店舗なら、どこにあったって同じだ。別に、神保町になくてはならないものではない。

 どこにでもある、置き換え可能なものがどんどん置き換え不可能なものを食い潰している気がする。私の知っている神保町は、もう、記憶の中にしかなくなってしまった。

>> Information
posted by 成瀬隆範 at 21:57| Comment(1) | TrackBack(0) | 文芸・話芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月20日

キぐるみ

 今日は新宿にて D[di:] の『キぐるみ』をゲット。あと、タイムズスクエアで BelleVille Rendez-vous なる映画を見た。

 ちょっと疲れているので、『キぐるみ』は明日読みます。
posted by 成瀬隆範 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

D[di:]

 ここ最近、D[di:] に関連したものに接することが多い。正直、この人のことを知ったのはここ最近のことだし、彼女の作品自体は今現在読んだことがないのだが、どうもいろいろ気になる。最近はかなり直感で動くようになり、これだ!と思ったものにはとことん探りを入れてみることにしているので、早速ウェブ上で色々調べてみた(というか、昨日までに既に色々チェックしたサイトを、本ブログにリンクを記載するためにさらに調べ直してみた)。

 ○D[di:]のオフィシャルウェブサイト
 ○D[di:]ブログ(D[di:]のDはダメのDだと?!おもに逆ギレ日記)
 ○gooのアーティスト情報
 ○東芝EMIのページ

 とりあえず、公式サイト/企業サイトのリンク。突っ込んで調べれば非公式ファンサイトなんかもあるかもしれないが、とりあえずは、省略。D[di:]ブログには最新の記事に(2004.12.19現在)トラックバックを入れました。リンクのお知らせの代わりです。D[di:] さん、気づくでしょうか。逆切れされるでしょうか。もしかして D はダメだしの D なのでしょうか。びくびく(なぜかこの部分だけ丁寧語)。

 さて、今日このブログに D[di:] のことを載せようとと思ったきっかけは、昨日レンタル屋に行ったついでに DVD の「ジョゼと虎と魚たち」を借りてきて観たから。昨日デビルマンをあれこれ調べているうちになんとなく D[di:] に行き着いたばかりなので、ちょいとびっくり。っていうか、この映画のロケ地の「阿佐ヶ谷パールセンター」と「スズラン通り」って、中学時代に過ごした場所だし(お世話になりました、本屋さん)。2度びっくり。久しぶりに阿佐ヶ谷行ってみようかなあ。私が引っ越したあとにパールセンターを上げてのジャズ祭なんぞ開くようになっちまって、ズルいぞ。下北沢だって、小学校時代のテリトリーだったのに、引っ越したあとに「若者の街」になりやがって。くやしいぞ。あの当時はかなり地元臭満載の街だったのに(そこが良かった部分もあり)。

 (書く内容によって文体が違うのは、反省するべきなんだろうか…)
posted by 成瀬隆範 at 00:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月19日

今日はとことんツイてない

 ここ数日は喉と鼻を痛めてことに起因する喘息の悪化、体力低下によって基本的にはずっと家にいたのだが、今日久しぶりにレンタルCDの返却をするために隣の駅まで「遠征」に出かけた。

 家を出る。調子の良い時は最寄り駅まで30分歩いてゆくのだが、現状では到底無理なのでバスを利用する。バスの時刻表を確認してからちょうど良い時間にバス停に向かうも、時間になってもバスは来ない。よく考えてみれば、本日は日曜日である。平日のつもりでいた私。これだから、普通とは違う勤務日数/時間体系で働く職業は…。10分待たされる。この病み上がりの身体に、寒いっちゅうに。

 バスに乗る。自分で勝手に「風邪の特効薬」と決めつけている「ネギチャーシューラーメン」を食すことを予定にいれ、駅に到着する前にあるラーメン屋があるバス停で降りる。降りてから気づく。…金を持っていない。ギリギリバス代しか持っていなかった。バス代を持っていただけよかった。恥をかくところだった。

 仕方がないから、銀行のATMあるいはコンビニがあるところまで行こうとしたら、結局駅まで歩くことになってしまった。こんなことだったら、途中下車せずに最初から駅までバスに乗れば良かったのに。で、とりあえず駅前にある唯一の銀行ATMである某銀行のキャッシュサービスのところまで行ったのだが、本日はシステム関係の処理のため全国で一斉に金融業務は休みとのこと。この銀行、数年前の合併によるシステムトラブルの際には実は完全にシステム統合しておらず、そのツケを今更払って2週間に1回ほど金融業務を休んでいるという情報は本当のことなのだろうか?

 駅前のコンビニに行く。最近のコンビニは楽に現金の出し入れができて、便利である。しかし、この機械で引き出せる銀行の中に私の使用している銀行の名前はなく、余分な手数料を取られる。まあ、金を引き出せただけいいか。もはや食事は後回し。隣の駅で食事をすることに決め、駅に向かう。

 駅から電車に乗る。下りマークのついた階段を下っていたら、そこを上ってきたガキ共に行く手を阻まれ、電車に乗り遅れる。次の電車は特急列車の通過。仕方なく1本待つ。寒いっちゅうに。

 電車に乗る。隣の駅に着く。自動改札をくぐる。阻まれる。もう一度カードを読み取らせる。また阻まれる。駅員のところに行く。カードを処理してもらう。駅から出る。ポケットに手を入れる。カードが2枚あることに気づく。私は入るときに使ったカードをポケットにしまい、駅から出るときには同じポケットに入っていた別のカードで自動改札を出てしまったらしい。どうりで、2回も阻まれるはずである。

 チェーンのラーメン屋に入る。中途半端な時間なので、チェーンのラーメン屋しかやっていなかったのだ。五目ラーメンを頼む。もはやネギチャーチューは念頭からとっくに消えていた。餃子も頼む。半ライスも頼む。食い過ぎかも。まあいいや、リキつけるために…。などと思っているうちにラーメンがくる。食す。…。不味い…。餃子がくる。食す。…冷凍だな、これは…。

 なんて力のない食材を使っているのだろう、この店は。病み上がりのような野菜だ。これだったら、ちょっと家の近く(と入っても、ちょっと遠い)にある蕎麦屋に行った方が良かった。あの蕎麦屋は良いぞ。なんてったって、野菜に力がある。かき揚げを食べた時は、衝撃を受けた。たぶん自家栽培か、非常に良心的に作物を作っている農家から仕入れているに違いない。蕎麦にも力があった。値段は高いが、それだけのものを払う価値はある。そういえば、最近「力のある野菜」って見かけなくなったなあ。

 以前神保町のとある店に入った時、キュウリが出た。私はキュウリが嫌いだ。それでも、キュウリが出た。まさにキュウリだけだった。もちろん、味付けはしてあるのだが。しばらく眺めた。なんとなく、普通のキュウリとは違う印象がしたので、口に入れてみた。…うまかった。私がキュウリをうまいと思うなんて、珍しいことだ。ウリ科の植物には独特の匂いがあってそれがダメだったのだが、あのキュウリは問題なく食べられた。あれはまさに、「力のあるキュウリ」だった。あんなキュウリだったら、別に普通に食べられる。でも、スーパーで売っているような、ウリ科植物の匂いだけが際立った「力のない」キュウリは未だにダメだ。

 ただ単にエネルギー補給というだけでなく、それを文化とアートにまで高められるのが料理なら、あんな「力のない」食材では、あまりにも悲しすぎる。だからといって「本物の」食材を探してそれだけに接するほどの労力をかけているわけでもないし、ジャンクフードだってけっこう食べてしまう私が言うのもおこがましいことかもしれないのだけれど。

 なんとなく思うのだけれども、コンピューター機器を買ったり、ウェブサイト作ったり、服に金をかけたりしていると、どんどん「生きること」に大切な部分の質が落ちてゆく気がする。生活も不規則になるし、一人暮らしということもあって惨憺たる食事内容だし。

 結局人は生活をするために生きてゆくのかもしれないし、生活をするということは同じことを延々と繰り返してゆく中でほんの少しずつ何かを積み重ねてゆく作業だということは理解しているのだけれど、私はどうも精神的な側面に「少しずつ何かを積み重ねてゆく大切さ」を適用している気がする。その部分が直接に出ているのは今私がやっている作業(ウェブサイト作り)なのだが、もっと現実の生活部分に目を向けないと、早死にするかもな。まあ、長生きを望んでいるかというと、?なのだが。こんなことが言えるのも、私がまだ世間的には若僧のうちだからだろう。

 自分が今まで生きてきた時間の長さより、自分が死ぬまでの時間の短さを考えるような年齢になったとき、今と同じようなことは言えなくなるだろう。自分がこれから作り出すものより、自分が今までに作り出してきたものを守りたくなるような心境に、やがては私もなってゆく。私がそういう年齢になるにはまだまだ間があるので、高齢社会下における世間的若僧と見なされる今のうちに色々間違ったことを吠え哮って、学習させていただきます。主にこのブログで。ロゴ Smoke Stings Studio 内ではもうちょっとクールにやろうかな(やるつもり。やれるといいな)。
 
posted by 成瀬隆範 at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月18日

だいぶ喉も回復してきました。

 ここのところ痛かった喉もだいぶ回復し、時折咳は出るものの、明らかに改善に向かっている様子なのでほっとしています。

 今日は日課のウェブサイトチェックをしているときに、なんとなく実写版デビルマン関連のサイトを読み進めてしまいました。今更、という感じですが。相当ひどい出来のようですね。

 で、久々に講談社文庫版の「デビルマン」を取り出してきて、読み進めていますが、やっぱりこの作品は、精神エネルギーをかなり消費します。最初に読んだのはたしか、中学1年生の時だったと思いますが、非常に衝撃的でした。特に最後の場面は、ずっといつまでも覚えていました。思えばあの頃から、私は一見全く逆の属性のものを同時に共存させてゆく思考法をずっと持ち続けている気がします。そう考えると、この作品は、現在の私に多大な影響を与えているんですね。

 中学生の頃は、よく近所の本屋さんに言って漫画を立ち読みしていました。あの頃はまだ漫画本にビニールかけるのが主流ではなかったので、学校が終わるとすぐに自転車で本屋さんまで行って夕食時になるまでずっと立ち読みでした(小学校の頃からずっとそうやっていました。イヤなガキでした)。ひとつの本屋に長居すると嫌がられるので、同じ町内にある複数の本屋を1日のうちに何軒も回った記憶があります。楳図かずおとか日野日出志などの怪奇系(「楳図かずお」の漢字がうまく出なかったので、npの日記まで文字を拾いにいった私は馬鹿ですか?)や、平松伸二とか少年ジャンプのヒーローものの単行本なんかもそうやってカバーしました。でも、大量に読んだせいで、中身はほとんど覚えていません。

 あと、よく図書館の漫画本コーナーも利用しました。家から行ける図書館が2つあって、2つとも漫画本が充実していました。手塚治虫のブラックジャック水木しげるのゲゲゲの鬼太郎系は図書館でかなり読みました。妹がいるので、一緒に「あさりちゃん」なんかも読んでいた気がします。

 SF小説や江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ、落語の本なんかもよく借りていました。落語は今でも好きです。同じ喋る職業の人間として、話芸には興味を持っています。実は、名人落語家がうまく活かしている抑揚のつけ方や「間」のとり方などを授業中に効果的に使うことで、かなり授業のウケ方が違ってくるんです。たぶん、生徒たちは気づいていませんけどね。ただし、いわゆる「くすぐり」の部分は全く役に立ちません。要するに、「オヤジギャグ」ですから、あれは。私は実際に寄席に足を運ぶタチではないのですが、CD音源で百数十枚程度、落語家の数で数十人、噺の数にしたら2百以上の噺を今までに聴き込んでいます。本来の落語は寄席に行ってその雰囲気や落語家の仕草も含めて鑑賞するのが最良ですが、単純に「話をするための研究」をするためには、逆に余計な仕草が見えないCD音源の方が役に立ちます。ちゃんと聴いていれば、ちょっとした「間」の悪さや、時には落語家自身の体調の悪さまで喋り方でわかってしまうことがあります。

 なんとなく思うのですが…。ここ数年、高校生以下の年齢の人たちの喋り方が均質化している気がするんです。もちろん、かなり大ざっぱにとらえての話ではありますが。聞いていて魅力的な本人特有のリズムが希薄だというか、言葉の端々に余韻が少ないというか…うまく表現しきれませんが。私は言葉の持つリズムや音楽性(抑揚)にけっこう注目するタチなので、気にしてしまうだけかもしれません。特に、「言葉」を通じて自分のことを相手に「わかってもらおう」という、積極的でありながらも謙虚な姿勢に欠ける場合が多い気がしますし。

 愚痴っぽくなってきたので、ここらへんでやめとこ。
posted by 成瀬隆範 at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリスマスソング "Joy To The World" 追加

 英語歌詞和訳集 クリスマス/賛美歌に "Joy To The World" を追加しました。日本語の題名で「もろびとこぞりて」と言っているやつです。

 クリスマスが近いですね。あと、1週間ですか。あと一週間経ったら、あんまりクリスマスソングの和訳をしなくなると思います。季節ものなんで。どうも最近賛美歌をたくさん訳していることに気づいたので、カテゴリーの名前を「英語歌詞和訳集 クリスマス/賛美歌」としてみました。

 どうもキリスト教圏の思想があまり好きになれないくせに、キリスト教がらみのことばっかりやっています。キリスト教の賛美歌ばっかり取り扱っていると、他の宗教に不公平かなとも思いつつ、でも、とりあえずそれなりに使いこなせる言語が英語と日本語しかない私には、賛美歌が一番手っ取り早いわけです。他の文化の歌や民謡も訳してみたいと思ったりもするわけですが、やっぱり、言語の壁が。たとえば、「ヴードー教で使用されている呪いの言葉和訳集」とか、「ケルト文化詩和訳集」とかやってみたいのですが、ちょいと無理かと。特に「ヴードー教で使用されている呪いの言葉和訳集」は実はやりたくてうずうずしているのですが、なんとなく寿命が短くなるような気がするので、多分どれだけ言語が達者になってもやらないと思います。

 
posted by 成瀬隆範 at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 更新日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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